スペイン語アウトプット表現力を磨くための五行エッセイ修行③

勝手に自作五行エッセイ第3回目です。

前回記事↓↓

勝手に自作五行エッセイ第二回目です。今回のお題は:『ストレスと引き換えにお金をもらう時代は終わる、らしい。』です。それに加え、この学習法の醍醐味、前回と今回のエッセイの出来に関する勝手な深い反省、使い回しのできるテーマやトピック、などなどについて記します。
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今回は趣向を変えて

基本パターンの

主題⇒理由3つ

とは別の

主題⇒方法3つ

パターンでやってみようと思います。

(他のパターンに関してはこちらの第4章反省パートの中間あたり参照)

そして、お題としては、以前の記事『スペイン語漬けライフ研究:其の八』に自分で書いた内容からインスピレーションを得たものをピックアップします。

まあ、“インスピレーションを得て・・・”なんてすてきな感じでいってますが、はやくも完成したネタが尽きたから“そこらへんにある既存のもんをまんま使い回すことにした”のほうがしっくりきます。

なんせ:

書けば書くほど上達する

裏を返せば

書かなければ“一生今いる場所でぐるぐるまわっとけ”な感じになる

とわかっているからものすごく書きたいのに、腰が重いなあ、フットワーク重いなあ、と我ながら不思議に思っていたら、

お題をみつけてそれから理由や言及すべきポイントが3つ全部頭に浮かんでから書きはじめよう、という思考回路または姿勢になっている自分にある日気付きました。

ああ、だからか、となったのですが、とにかく机の前に行きノートを開き筆を執り書き始めればふさいでもふさいでも溢れんばかりの“思い”とか“アイデア”とか“知”とかがとめどなく溢れ出てくる、ってもんでもなさそうだったので、じゃあ、なんか3点そろってるのなかったかな?と頭を巡らせた結果唯一浮かんだのがこれでした。

2点そろってるのはたくさんあるのに。

4行エッセイじゃだめですか?

“3点”なわけ考察

自分なりに考えてみたところ、思うに、多分、

言える事柄が2点でなく3点ある

ということが、あとあと効いてくる又は響いてくるポイントなのかもしれません。

正にその3点あること自体に救われる日が必ずくる、まあまあ見ておれ、というような、人間行動学をベースに高度で緻密な計算の上に練られた隠れた真の意図が存在するのかもしれません。

この“五行エッセイ”の生みの親には。

以下、真の意図(勝手な想像):

今の心身ともに余裕のある時に頭ひねってでも3点用意しておくことで、

  • 実践の場でテンパって1点忘れたとしてもあと2点も言えることが残ってる
  • 最悪頭真っ白になって2点吹っ飛んでしまってもまだ1点は残っている

という状態にもっていくことが可能。

ここでもし2点しか用意していなかったら、

  • テンパった時は残り1点(こころもとない)
  • そして、最悪頭真っ白状態に転落時は、

在庫残り・・・

 
0(ゼロ)

というわりと致命的でぎりぎりな窮地に立たされることうけあいです。

あなた、そんなの避けたいですよね?

(私)避けたい、そんなの避けたい。

わかりました。

文句言わずにがんばって3点用意します。

勝手な想像にしては、結構、核心をついているような気がします。

とにかく、観念したら落ち着いたので、さっそく本日のお題に行きます。

スペイン語五行エッセイ本日のお題

念のため以前の記事の中身はこんな内容です↓↓

人間が変わる方法

ってのはそんなに色々あるわけではなく、

考えられる主な方法は:

  1. 時間配分を変える
  2. 住む場所を変える
  3. つきあう人間を変える

の3つなのだそうです。

前記事:『スペイン語漬けライフ研究其の八』より

というような内容を五行エッセイ用にアレンジしたいと思います。

 

◎『人間が変わる方法は3つしかないらしい。』

Dicen que en el mundo solo existen tres métodos a través de los cuales una persona cambie realmente, si así lo desea.
El primer método consiste en cambiar la proporción de distribución de su tiempo y energía.

Por ejemplo:

realizando el cambio de hábito, de objetivo prioritario, de trabajo, de tipo de actividad y de ocio, etc.

El segundo consiste en cambiar de lugar de domicilio.

Es lo que puede provocar un nuevo ambiente, un nuevo entorno, un nuevo descubrimiento, un nuevo encuentro, una nueva experiencia o una nueva oportunidad en cuanto a la vida tanto personal como social.

El tercero consiste en cambiar a las personas con quienes se relaciona.

Las relaciones humanas son algo que influye, mucho más de lo que parece, en nuestro ritmo de vida, en la calidad de nuestra vida, y en muchos casos hasta condiciona nuestra manera de pensar y comportarnos.

Por lo tanto, llevar a cabo un ajuste de las relaciones puede significar mucho para la vida en sí.

Por ejemplo,

  • rompiendo las relaciones insanas, indeseables, viciosas, o no constructivas que nos atan o nos limitan, o que nos hacen sentir la pérdida de tiempo,
  • rompiendo las relaciones con desequilibrio de poder o con falta de respeto, como el maltrato, la coacción de obediencia, la dependencia, la codependencia, etc.,
  • o sencillamente entablando las nuevas relaciones, sin romper las existentes.
Se considera que solo con estos tres factores arriba mencionados, la persona podrá cambiar.

Son tres acciones que nos llevarían a cambiar de mentalidad y actitud, renovar valores y, al final, crecer como persona,

  • al encontrarnos con “el nuevo yo” ante un mundo lleno de nuevas posibilidades,
  • al descubrir nuestros nuevos potenciales y luego experimentar su despertar,
  • al lograr enriquecimiento de nuestra propia experiencia de la vida.

Sin embargo,

en realidad no es tan fácil alcanzar el cambio por muy intensamente que lo desee,

ya que cambiar duele y se requiere una mayor fuerza de voluntad además de capacidades como el autocontrol o el autoconfianza,

las cuales faciliten la toma de decisión y permitan atreverse a entrar en acción para cambiar.

Por lo que habrá veces que uno no es capaz de cambiar, a no ser que llegue una situación extrema en la que ya no le quede más remedio que decir: “O sigo viviendo pero de otra forma, o no sigo viviendo.”

 

あれあれ、なんか最後なはずの5点目のあとに謎のパートが付け足してある(マーク部)。

そうです。

ペロパー始めました。

ペロパー始めました。

“Pero” パートを付け足す=ペロパー

(一発目から、“pero” でなくて “sin embargo” を使ってますが。)

つまり、最後の最後にひとつ、

逆接の接続詞『でも・・・、しかし・・・、しかしながら・・・、』から始まる、対立・対象の関係を持つ要素や論を導入したパート

を付け足す、という施策です。

又は、

『とはいえ、~という正反対の側面・要素や真逆の立場からの視点や意見も忘れないでおきたいものです』

的な、

様々な立場からの視点への理解を示したり、別にどっちの立場でもないよ中立ですよどっちつかずですよ、この書いてる(話してる)内容も100%鵜呑みにしてるわけではないですよということを臭わせたり、が目的の

いうなれば、アフターフォロー系パート

であります。

具体的には例えば、

  • メリットを重点的に話していたなら、デメリットを
  • プラス面には、マイナス面を
  • 得には、損を
  • キライなところを刺々しく並べ立てた後は、ひとつぐらいはあるだろうよ好きなところも

(またはそれぞれの逆)

そういった正反対要素を最後に付け加えるためのスペースを作ることにしました。

もしくは、そういったパートを各テーマごとに用意する習慣をつけることにしました。

なんのためって、もちろん表現の幅を広げるためです。

本当は、アフターフォロー効果なんて心底どうでもいいのです。

ただ、やっぱりせっかくやるなら、実践や検定試験とかにも使えるように、書いたテーマに関しての “膨らませ要素” や “膨らませる方向” を含めたいわゆる “発展バージョン” もちゃんと用意しておきたいな、誰って自分のために、と思わずにはいられません。

ということで、今後は(いつもじゃないかもしれない)、各テーマごとにペロパーを設けていきたいと思います。

ちなみに、 “pero” 以外の類似接続詞(句)や接続詞的に利用される副詞(句)たちも使っていきます。

例:”sin embargo”, “no obstante”, “aunque” などなど

なぜなら、個人的には、気を抜いてたら「でも・・・」の時、往々にして “pero” しか出てこないので、単調にならないように他のバリエーションも使うように心掛けたいからです。

知的風を吹かしたいがために。

今回の内容が使い回せそうなトピック

これは、けっこう多方面で使い回せるものだと思います。

例えば:

生き方・価値観・変化への順応・自己革命・自己実現・人間関係問題・行動力・上昇志向・クオリティーオブライフ・心の知能指数・安定と自縄自縛の区別・自己解放・挑戦・メンタルヘルス・・・

あれ、なんか前々回のトピックと大いにかぶるような気がします。

でも、似たり寄ったりになってしまっているわけでもなさそうで、まさに、そここそがいろいろ多角的に使える、ということの証明であります。

たぶん。

日本語には訳しません、に隠された真実

ここに告白します。

前々回記事で、『書いた五行エッセイはあえて日本語には訳しません。なぜならブラブラブラ(ニュアンス変わるから、陳腐になるから、そらぞらしくなるから、ほんとはそんなことおもってないだろとばれそうだから…)…』

と正当化のための言い訳並べたてて、なんだか信念あり、みたいな言い方をしたのですが、

実のところは、

別にさして信念などなく

  • めんどうだから
  • ハードだから
  • ムズイから

なのです。

じっつに、

日本語とスペイン語のかけ橋系作業は大変負荷の高いものです。

スペイン語⇒日本語訳・日本語⇒スペイン語訳、のどちらの方向へのかけ橋作業であっても、スペイン語だけワールドでわちゃわちゃやっているのとにならないくらい高くそして多角的な能力、または、まったく違ったタイプの技能を求められるような気が個人的にはします。

結構、(ーもちろんよかれと思ってー)スペイン語ワールドに引き籠ってやってきたのですが、正にそのことがを奏して上級者レベルくらいにはなれたような気がする一方で、

同時にそのことがともなって返り討ちにあっている感じが拭えない今日この頃です。

つまり、マイ脳みその思考回路内に日本語とスペイン語のスムーズなやりとり用のコネクションが確立されていない様子で、今まであまり使ってなかった未発達な青々しい回路ゆえ、切り替えプロセスの際には“ガッチン”とか“ガリガリガリッ”といかにも不穏な音がしそうなくらいやっかいでハードルの高い作業になってしまっています。

いや、まてよ。

ということは

開花するかもしれない秘められた潜在能力発見か

というワクワク方向に気持ちをもっていってやっとなんとかちょっとずつでも油さしていこう、

という気になってきた今日この頃であります。

でも、人によって、能力発達の偏りや順序の違いがあるのは当然なので、単なる順序の話なのだと思うのですが。

たとえば、ある人は、まず日本語をがっつり介してスペイン語の脳を発達させていって、つまり、日本語⇔スペイン語の行き来がスムーズになったそのあとに、腰の高さぐらいまでは漬かっていたスペイン語ワールドに今度は全身ドップリ行く、もしくは、行かない

また、ある人は、先にスペイン語ワールドに漬かったあとに、身に付いたスペイン語知識と感覚を日本語のものと繋げたりすり合わせていっていい具合にミックスさせていく作業に入る、もしくは、混ぜないままにしとく

とか、まあなんでもいいのですが、自分の日本語と自分のスペイン語には仲良くしてもらいたいです。

日本語難しい、なんて言わずに。

でもほんと、日本語ってむずかしいです、

別にそんな日本語を格別誇ってるわけでもないけど、外国語としての日本語を制覇している日本語ノンネイティブはすごいなあ、とまじりっけなしの心で思います。

ということで、もしかしたら、いつか日本語訳をつける日がくるかもしれません。

あとがき

言葉というのは何語であれ奥がふかいなあ。

底なしなのかなあ、

終わりが見えないなあ、

果てしないなあ。

五行エッセイ修行続けます。

次記事↓↓

勝手に自作スペイン語五行エッセイ第4回目です。今回はスペイン語の動画を視聴して、そこからアイデアやヒントを得るスタイルでいってみます。【追記:日本語訳追加しました】

前回記↓↓

勝手に自作五行エッセイ第二回目です。今回のお題は:『ストレスと引き換えにお金をもらう時代は終わる、らしい。』です。それに加え、この学習法の醍醐味、前回と今回のエッセイの出来に関する勝手な深い反省、使い回しのできるテーマやトピック、などなどについて記します。