スペイン語上級者からネイティブレベルへ(中編)

からの続きです。『ネイティブレベル』のスペイン語力を獲得してスペイン語の達人になりたい、可能なら。などと、考えれば考えるほどボヤーっとしたことを望む今日このごろです。でも、実は正直なところ正体がほぼわからないその『ネイティブレベル』とやらの実態に今回もさらに迫ってみようと思います。雲をつかむような話になろうとも。
結構前の話になるのですが、語学界には、上級レベルのさらに上を行くネイティブレベルと呼ばれる領域が存在するということを知りました。そして、色々調べた結果、上級レベルとネイティブレベルの溝は深いどころじゃないほどに深い、みたいなのです。
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『ネイティブレベル』とやら

『幸せ』とか『夢』とかレベルとまではいかなくとも、けっこう似たりよったりのボンヤリ感を醸し出している言葉であるのは間違いありません。

それでも、自分で目指す目指さない、って言っている範囲の話なら、ネイティブレベル、ネイティブレベル、ああ、ネイティブレベル、といくら連発してもだれにもなにも迷惑かからないからスルーでオーケーだけど、実際、実社会でもあたかもなにか明確な基準であるかのように利用されているから困ります。つつきたくもなります。

例えば、仕事求人情報に、求められる語学力として、“〇〇語ネイティブレベル”と書かれているのを良く目にします。

この場合、お金を払って求人広告を出している雇う側としては、明確な求めるレベルを把握しているはずだし、そして独自のメソッドで面接時なり試用期間なりにそのレベルの語学力あるなしを確認するのだろうからなんら問題ないのだろうけど、求人に応募する側にとったら、尻込みすべきなのか迷わされる結構な引っ掛かり「」ポイントであります。

でも実は、“この『ネイティブレベル』という文言にびびった程度のやつはそもそも来なくていい、いや、むしろ来ないでほしい”っていう雇う側の強い意思表示が暗にあるのではないか、つまり確信犯か?と勝手に想像したりもしています。

そして、もしや結構こういうケースが大半なんじゃないかと思ったりもします。なぜなら、雇う側には、それこそ『ネイティブレベル』という言葉の曖昧さとそのイメージの独り歩き具合を熟知している人がいるはずだからです。

さもなければ、“こんなぼんやりとした基準を示すぐらいだから、あとあとどんなことを求められるかわかったもんじゃない”というようなおどろおどろしさしか生まない、つまり、会社としての信用問題につながりかねないようなことをする意味がまったくもってわかりません。

他方で、自己申告の“私の〇〇語は『ネイティブレベル』です。”もまた、これほどホワーっとしたあてにならないものもない、というしろものであると言えると思います。詐欺、に近いことになることも度々あるのではないかと、いろいろあれやこれやと想像をしてしまいます。

実際にネイティブレベルの人ほど、他人に“私の〇〇語は『ネイティブレベル』です”と言うことの真の恐ろしさを知っている、ということを耳にしたこともあります。なぜだか“期待値が無駄に高い”現象に、あとあと首を絞められるのは他のだれでもなく自分だと良くわかっているからです。

なにはともあれ、きっともともとは、語学界の先人たちが、学習者としての限界レベルである『上級者』のその上にまだ果てしなく広がる領域になにか“名前”を付けなきゃ、となった結果生まれたのが『ネイティブレベル』というものであって、そして、待ってました名前、というような人々によって嬉々として拡散され、今では、そのイメージだけが独り歩きしてしまっている状態なのではないかとこれまた勝手に想像してます。

もしくは、逆で、以前は『ネイティブレベルの者』と『学ぶ者』のふたつしかなかったところを、学習者が増えてきたので、学習法の洗練化や個人化が必要になってきた結果、ざっくりとひとくくりにされていた発展途上の『学ぶ者』の中でもレベルの細分化が進み、そしていまや、例えば、『入門』『初級』『中級』『中上級』『上級』『最上級』などなどと分けられることとなった。

あたりか。

どちらにせよ、勝手な想像にすぎませんが。

『ネイティブレベル』に関する意見いろいろ

(ネット界にて)

どちらかというと、“ネイティブレベルへの到達”目標を掲げることの弊害を説いたものが多いようです。

*意見①

ネイティブレベルの語学力など不要

必要なのは「通じる言葉」

この“ネイティブレベルの語学力”と“通じる言葉”の二つのものを正反対あるいは対象的なものとすべきなのかどうかはなかなかに不明ですが、でも順序的な話として、まず“必要なのは通じる言葉”ってならわかります。

“通じる言葉”の大事さに異論はありません。

まあ、その「通じる」は、いったい「どこ」で「通じ」れば良しとするのか、が個人的目的にによってくるので、言い出したらなにもかも曖昧ではありますが。

例えば、“最低限コミュニケーションとれればOK”“楽しく旅行できればいい”というものから“グローバルな世界を生き抜く”や“スペイン語ネイティブ相手に論破する”など、それはそれはもう様々な目的が存在しますが、言ってしまえば結局、好き好き、で片付いてしまう話です。

この様々過ぎる個人個人が目標とするレベルを、びしっとどこでもいいからどこかを揃えたくてまとめて言ってみると、要は:

本人がそれでいいと感じるレベル

が、人それぞれの目指すレベルである。

というところにたどり着きます。

そして、例えば、あくまでも学習者の域を出ない“上級レベル”では納得いかないなら、自然な流れとして次の段階であるらしい『ネイティブレベル』とやらのエリアへ進んでいくだけの話で、もし仮に、もうここで十分と自分なりに納得できれば、それはそれでいいわけです。他人がなんやかんやと口出しする案件ではありません。

とにかく、この論に考えを巡らせてみた結果出した自分の中の結論は、

“通じる言葉”を“文法的にも正しく”かつ“文脈にふさわしい形で”それも“瞬時にスムーズに”出せるのが、“ネイティブレベル”ってことなんじゃ?

あたりです。

*意見②

次に、そもそも、

大人になってから学び始める人の9割以上はネイティブレベルに到達できない

天才的な語学センスがない限り。

って言っている人がいたりします。

えーそんなに険しいのか・・・そう・・・まあ当然険しいだろう・・・

と、一旦絶望気味になったあとで、

あ!でも、天才的な語学センスなどなくとも努力ややり方次第で、

1割弱は到達できる

ってことか!

つまり10人中1人。てことでいうほど不可能レベルな話でもなく、

というか結構、到達できる可能性高めであることに気付きます。

それよりも、この論の暗に意味するところに関してよくよく考えてみると:

つまりは、“大人になってから学び始める人”で“ネイティブレベルに到達できるほどに長く継続できる人、または、十分な時間やエネルギーを注ぎこめる(=努力できる)人”が少ない、ってことなのか。

それとも、“大人になってから学び始める人”は子供時代から始める場合と比べて、単純に考えて、どうしても寿命までのタイムリミットが短いゆえ、ネイティブレベルになるための時間が充分でない、つまり、ネイティブレベルへ到達前に命尽きることが多い、ということなのか。

それとも、仮に同じぐらいの時間とエネルギーと意欲みたいなものが与えられるとしても子供のスポンジ脳と比較して大人の脳みそでは吸収力や柔軟性に限界がある、ということが暗に言いたいのか。

それとも。。。

でもさらによくよく考えてみれば、いやそもそも、だれがどんな風に統計とったり調査した結果出した結論なんだよ、とこの論自体に不信感を抱いたり。

それでも、実は、この論はそれほど間違ってもいないんじゃないか、と思えたり。

とにかく、険しい道だ、ってことだけは少なくとも本当だろうし。

*意見③

極め付け:

どんなに努力しても、ネイティブスピーカーと同じように言葉を操ることは、外国語としてその言語を学ぶノンネイティブには、

一生不可能。

無駄な夢を見ずに、現実的な学習目標をたてよ。

そして、無益なコンプレックスを切り捨てよ

これは、ある意味、すがすがしくて逆に勇気が湧いてきます。

ちなみに、例えばネイティブのスペイン語と自分のスペイン語を比較することは、さらなる洗練をめざす向上心の面においてはちっとも悪いことではないはずです。

そもそもそうやって比較して真似することこそが言語習得の基本でもあります。

つまり、結局程度の問題であって、コンプレックスとなるほどにこだわって病んだところで何も得るものはなさそうなのは確かです。

*意見④

何年現地で暮らそうが、どんな権威ある有名大学を卒業しようが、大人になってから始めたノンネイティブ学習者には、

冠詞や単数・複数形の間違いは一生ついてまわるものである。

つまり、

ネイティブレベルの人は間違えない、間違えないのがネイティブレベルだ、というのは幻想だ

という解釈もできます。

瞬間勝負のスピーキングにおいては、特に言えることだと思われます。

これらは、すべて英語学習においての先駆者たちが言っていることなのだけれど、ましてや、冠詞や単複の区別だけに限らず、女性形・男性形の区別や英語より複雑な動詞活用がさらに加わってくるスペイン語において、間違いは至極当然、自然現象みたいなもん、って解釈してもいい、と解釈しました。

じゃあ安心して間違えよう、と思えました。

個人的にも、最近、“冠詞”に関して文法書を読み直したりしている自分に我ながらひっそりじっとり不満を感じていたので、あ~一生ものなんだ、と勇気をもらった次第です。

最後に、ここだけは勘違いしないようにしたい↓↓

ものにすべきは“ネイティブ級の発音や話し方”ではなくて“ネイティブ級のスペイン語の使いこなし”

なにはともあれ、ここだけはき違えないようにしよう、と自分の肝に銘じた案件であります。

まあ、日本語を母国語とする学習者にとって、スペイン語は例えば英語ほどに発音が難しくないし、発音面においてだけいえば、例えば『日本語⇔英語』や『英語⇔スペイン語』の関係に比べれば、『日本語⇔スペイン語』の相性は悪くない、むしろ結構いい、と個人的には思います。

とはいえ、それでも、スペイン語特有の発音や話し方なども含めたリズムやテンポというものがあるし、それらに自分のスペイン語を近づけようとしたり正しく発音しようという心掛けは言うまでもなく大事です。

個人的にも、“ネイティブみたいに話す”ことに別に憧れない、と言えばうそになります。

でも、所詮どこまでいっても大人ノンネイティブなわけだから、そこにそんなに囚われなくてもいいのではないか?とおもうところもあります。

なぜなら、単純に、それよりもっと優先事項があるように感じるからです。

優先的に目指すところは「おー話し方がまるでネイティブみたい」とネイティブに思わすことではなくて、

  • ネイティブ級にスペイン語を使いこなせる
  • ネイティブ級の流暢さで話せる
  • ゆえにネイティブと(ほぼ)対等に話せる

あたりであります。

言い換えれば要は:

『話す内容が一番大事』

または、

円滑なコミュニケーションが第一目的

という至極当たり前の話になります。

でも正にこの、

スペイン語で伝えたいことをうまくスムーズに伝える

というところが非常に難しいわけなんですがッ!!

あとがき

『ネイティブレベル』か・・・

どんなに掘り下げてるつもりでも、

どこまでも表面的で深みが出ないなあ、

というかそもそも深みなんかないしろものなのかなあ、

どうも核心にたどりつける気がしないなあ、

どこにも着地点がなさそうな全くとりとめのない話をしているなあ、

などと我ながらいろいろ感じる中、

結局、これは語学的な技術うんぬんの話ではないんじゃないか、と思い始めました。

ということで、次はもっと踏み込んでみます。

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結構前の話になるのですが、語学界には、上級レベルのさらに上を行くネイティブレベルと呼ばれる領域が存在するということを知りました。そして、色々調べた結果、上級レベルとネイティブレベルの溝は深いどころじゃないほどに深い、みたいなのです。