スペイン語アウトプット表現力を磨くための五行エッセイ修行②

勝手に自作五行エッセイ第二回目です。

前回の第一回目はこちら↓↓

自作のスペイン語“五行エッセイ”を、はずかしげもなく公開してみることにしました。いえ、ちがう、はずかしげもなく公開するような場を意図的に設け...
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五行エッセイ最大の醍醐味

五行エッセイは、書き殴って満足してノートぱたん。

で終わり。

というしろものではなく、

また、続けていればいつかスペイン語でのロジカルシンキング力が身に付くかもしれない、

というフワフワした淡い期待感を抱かせてくれるだけのものでもなく、

あとから普段の自己表現時に使える

という

最大にして具体的な醍醐味

を持ち合わせる優れものであります。

そうでもなければやるわけありません。

スペイン語会話や文章作成、果ては、日本語での表現時にも役立つ可能性すらはらんでいます。

というのも、

一度でもいいから、あるテーマに関して考えを巡らして、その上、その考えを論理的にいい具合にまとめておく、という機会を意図的に設ける

というのが、

“五行エッセイを書く”という行為の意義であるように思うからです。

要は、あとあとの表現時のためのアイデアストックの役割を果たしてくれるのが、この学習法なわけであります。

まだそんなにいうほど習慣化させてもいないのに、こんなこと勝手に言ってます。

それでは、本日のお題にいきます。

スペイン語五行エッセイ本日のお題:

『ストレスと引き換えにお金をもらう時代は終わる、らしい。』

●Se dice que pronto terminará la época en la que se recibe el dinero a cambio de asumir el estrés.
●Es la sociedad actual, más avanzada y más despierta, es la que exige el cambio de valores en cuanto a cómo vivir y trabajar,

donde está cada vez más generalizada la idea de que se ha quedado anticuado un estilo de trabajo caracterizado por:

  • (1) trabajar resignándose a aceptar el estrés producido al sentirse obligado o forzado a trabajar bajo una tensión y ansiedad creadas por las exigencias, las expectativas y las imposiciones desmesuradas de rendimiento, buenos resultados o espíritu de sacrificio en la vida laboral,

    a cambio del pago del salario y de las prestaciones sociales que en cierto modo garantizan la seguridad y la estabilidad social, familiar y personal.

    Como consecuencia, al invertir su tiempo y energía de manera excesiva e injusta en algo nada motivador, acaba perdiendo el equilibrio mental y físico, las buenas relaciones personales o la armonía de la familia.

  • (2) elegir una profesión basándose en la idea fija de que “trabajar en algo que nos gusta” sea un sueño casi imposible de realizar y un lujo que le toca solo a una pequeña parte de personas privilegiadas con suerte o talento.
●En nuestro tiempo, si bien la forma de trabajar se ha diversificado y flexibilizado aparentemente por el bien de los empleados, en realidad lo que se espera es un nivel cada vez más alto de performance profesional.
  • Ahora bien, hay tendencia de que el grado de satisfacción de los trabajadores es lo que determina la calidad de su performance que influye en el nivel de rendimiento, eficiencia, productividad, motivación, sentimiento de responsabilidad, ética profesional, etc.
  • Sería imposible que quien hace su trabajo sintiéndose estresado y frustrado, por consiguiente, sin ganas ni entusiasmo tomándolo como una tortura, pudiera sentir que vale la pena esforzarse en desplegar su capacidad y conocimientos por su propia voluntad e iniciativa en sus actividades laborales.
  • Por otra parte, se piensa que, desde un punto de vista de la productividad, sería un desperdicio de energía y tiempo dedicarse a lo que no le interesa ni le gusta a uno, ya que el interés y la curiosidad son los que se convertirían en el mayor motor de ser creativo y emprendedor, y de aspirar a llegar a lo alto en un determinado mundo profesional.

    Asimismo la sociedad se ha dado cuenta de que para que una sociedad crezca la clave está en mejorar la calidad de recursos humanos, es decir, en hacer que se desarrollen las capacidades y habilidades de toda persona, sobre todo a las que no puedan sustituir las de la inteligencia artificial.

●En cuanto a la gente, ahora es más consciente de la importancia de estar atento al “equilibrio vida-trabajo”,
  • concepto en el que se busca la armonía entre el trabajo y la vida personal o el estilo de vida,
  • la cual permita que:
  • “todo ciudadano pueda trabajar, sintiéndose realizado, en lo que le hace pensar que vale la pena esforzarse en superar retos laborales diarios, y de esa manera cumpla responsablemente con sus deberes profesionales y sociales;

    al mismo tiempo, en la vida personal, familiar, local, etc., pueda llevar una vida satisfactoria pudiendo elegir entre diversas posibilidades un estilo de vida que uno desee y realizarlo según las etapas de la vida.”

●Por otro lado, la gente es mucho más sensible a lo injusto, lo irrazonable, lo inhumano o la desigualdad.

  • Y sabe distinguir “el abuso y la explotación” del “intercambio equivalente que respeta los derechos o beneficios tanto de los empleados como de la empresa”;
  • sabe distinguir entre “ser domesticada solo por el bien unilateral de la empresa” y “la entrega por su propia voluntad y ser emprendedora para crecimiento y beneficios mutuos.”

●También reconoce que vale menos el bienestar material sin el bienestar espiritual o la sensación de felicidad.

●Con todo ello, se considera que ya es hora de que acabemos con el viejo sistema de trabajar a sueldo a cambio de asumir el estrés,
  • todo por el bien no solo personal sino también común, de lo contrario, no se podrá esperar ni creatividad ni innovación ni progreso ni avance ni evolución ni futuro,
  • aunque es cierto que se supone un problema más complicado de lo que parece, puesto que hay quienes opinan que el trabajo y la vida son dos cosas que no se puede tratar por separado,
  • y puesto que la proporción vida-trabajo varía según los valores o los juicios de cada individuo, por lo que no debería haber ningún tipo de imposición de los valores, la ideología, la filosofía, o lo que sea, cualquiera que sea la nobleza de sus ideas.

※1.黄色の枠内がメイン文章箇所で、あとはその内容の詳細説明部分で、発展して膨らませたい時用案です。

※2.ここでの改行は、段落の区切りではなく、わかりやすいように意味のまとまりでの区切りです。

※3.いち学習者の書く文章であり、ネイティブによるチェックも未通過なため、誤った文法や表現が混じっていることもけっこうあります(実際、接続法・時制・冠詞の用法に自信のない箇所あり)。

大目に見てください。

感想

もう完全に“あっさりシンプル”面では、失敗してます。

ごった煮もいいところではないですか。

それに、もはやただの『5部に分けた作文』になってしまっています。

黄色のメイン部分だけを5個繋げてみたところで、筋が通ってるのか自信がありません。

次、がんばります。

あとで反省パートを別途設けます。

どういうテーマやトピックの時に使い回せるか

まず:

価値観、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)、生き方、クオリティ・オブ・ライフ、生き甲斐、働き方、仕事と私生活の両立、自己実現、ライフスタイル、そもそもワークとライフを分けて考えること自体への疑問

あたりか。

夢、やりがい、それをえさに行われる搾取、全人格労働、社畜、賃金奴隷、ブラック企業、長時間・過重労働、過労死、うつ病、業績へのプレッシャー、行き過ぎた効率化、失業やリストラの不安、消費される労働力、強要される会社への自己犠牲や忠誠心、軽視される労働者の権利や異議、と思いきや立場逆転しつつある雇い主と被雇用者の関係

あたりにも。

こういったテーマは、検定試験でもよく扱われる傾向にあるように思います。

まあ、多少ずれたテーマに当たっても、なにかしら繋がりを作り上げて多少無理があろうがこじつけまがいでも切り開く、そして隙さえあればぶち込む、という策もあります。

自分もよく使います。

前回と今回のスペイン語五行エッセイの反省点

反省します。

(前回はこちら

反省1点目:

ひとつのテーマ(主張や意見)に対して挙げた3つの点がどれも似たり寄ったりのものになりがち。

これは個人的には珍しいケースでもなんでもなく、違うことを言っているようで、結局同じようなことを少々違う言い回し・言い方・語彙を使って述べているような感じになることよくあります。

これからは、そこらへんを注意して、“毛色の違う”多種多様な内容のものを揃えるように意識したいと思います。

そうすることで、

自分の表現の引き出しが増えていく

といううわさなので。

このうわさは本当くさいと感じます。

でもだからこそなのか、この“毛色の違う”理由3つ揃える、というのがなんとも難しいのです。

すごく。

ここんところに引っかかったゆえに未完成のまま放置、というケース多発です。私の五行エッセイノートの中でだけの話です。

反省2点目:

なんだか、主張(自分の意見又は一般論)を述べてその理由を上げる、という型にピタッとはまっていない気がする。

言いたいことがありすぎる、というわけではなく、1文の中で言いたいことをうまくまとめ切れないがために、単に言えることを、えっとねえ、そんでねえ、と思いつくままにずらずらと並べたててるだけな感じがする。

別にはまるべき型にはまっていなくてもいいのだけど、とか思ってしまうのですが、そういうところがそもそもの問題です。

つまりは、論理的であろうとする努力を怠っている、ということであり、それこそが脳内カオスの元凶であります。

五行エッセイがどうとかいう次元の話ではなく、そもそもカオスがそんなに気にならない、というような致命的な人間性うんぬんの話に逸れていきそうなのでここでブレーキをかけておきます。

それでもやっぱり、もとを正せば、論理的思考力ほしい、というところからスタートした五行エッセイの試みだったので、軌道修正かけていきたいわけです。

そして最終的に、なにはともあれ大事なのは、

『パターンのくっきりとした切り分けだ』

自分のためにも聞き手読み手のためにも

という結論に至りました。

というのも、さまざまな組み合わせパターンをこの五行エッセイには応用することができると考えられるからです。

代表的なのは、もちろん

【テーマ・主張⇒その理由や根拠3点】

ですが、なにもこれだけが唯一のパターンではなく、他にもいろいろあります。

例えば:

  • テーマ⇒その問題点3つ
  • テーマ⇒そのメリット・プラス面3点
  • テーマ⇒そのデメリット・マイナス面3点
  • テーマ⇒その注意点3つ
  • テーマ⇒その解決法・対策案3つ
  • テーマ⇒その方法3つ
  • テーマ⇒そのタイプ3つ
  • テーマ⇒その手順3つ
  • テーマ⇒その条件3点
  • テーマ⇒その事象例3つ
  • テーマ⇒それに関する提案3つ
  • テーマ⇒その現象が見られるケース3つ
  • テーマ⇒その影響3点
  • テーマ⇒その効果3つ
  • テーマ⇒その成功例3つ
  • テーマ⇒その失敗例3つ

という風に挙げ出したらきりがないようなあるような。

こんな風にいろいろパターンがあるもんで、ここで油断すると、どれもこれも、

  • テーマ⇒なんでもいいからそれに関して言えることや思うこと3点(プラス面マイナス面ミックス可)

という「なんでもいいから・・・」系か又はいろいろミックスしたグダグダのゴッタ煮カオス系に流れてしまいがちです。

そうならないためにも、内容やパターンはなんでもいいにせよ、できたらきっちりと切り分けて、

「根拠が3つあって、今、根拠の3点目を述べてます」

「メリットが3つあって、今、メリットの2点目を述べてます」

などとスッキリ明快に進めていきたいもんだなあ、そしてせめて自分で自分を混乱させないようにしたいもんだなあ、とおもうわけです。

でも、別にごちゃまぜミックスがダメなわけでなはく、ハイレベルすぎるばっかりに、逆に頭がカオス状態に陥るから、今はまだ個人的手出し禁止ゾーンにしておく、というだけの話です。

それでも、例えば

「このテーマに関連する言及すべき点が3つあって、ひとつ目はそのプラス面。ふたつ目はマイナス面。最後にマイナス面の解決法や今後の課題。」

てな風にちゃんとくっきりさせて、自分も相手も混乱せずに進行させる自信と器量があるのなら、そこを目指すべきなのだろうとも考えます。

その方がハイレベルなのは確かだけど、慣れてしまえばかえってこっちの方が楽なような気がします。

つまり、“つぎはぎ”も、巧みさ次第、センス次第、完成度次第で、立派な作品となりえるという話であります。

そして、もちろんのことそれはそんな簡単な話ではなく、その代り、ストックしておくべき“表現の引き出し”の数が膨大に必要になってくるように思います。

さらには、

その時々に最適な引き出しを

的確にスッとスムーズに開けて、

いい感じに組み立てていける

臨機応変さ器用さ冴え冴えの切れる頭脳

そんなもんらが必要になってくるわけです。

ま、徐々にやっていくわ・・・という感じにならざるをえません。

なので徐々にやっていきます。

あとがき

どのレベルの学習者であれ、現時点で自分が持っている知識で書ける内容のものを書いていればそれだけで表現力向上効果があるように思います。

例えば『インテリネイティブのような文章を書かねば』というようなプレッシャーに圧迫される必要などどこにもありません。

必要があろうとも、そもそも無理なものは無理です。

小学2年生がどんなに頭をひねろうがどんなに焦がれようが大人博識者の書く論説のような文章を書けっこないのと同じ、と考えると気分がいくらか楽になり、そして、しゃーない、時間をかけて段階をふもう、という気になります。

でないと、無駄にハードルが上がって“気軽にできない度”が倍増します。つまり、やらなくなってしまいます。

ただでさえけっこう負担のある課題なのに(個人的感触)。

そして、さらには、まがりなりにも人様の目に晒せる程度にまで完成度を上げるのは、結構羞恥心や自尊心みたいなものにも邪魔されて、時間のかかるまあまあハードなワークです。

どちらにせよ大した出来ではないけど、マイノートのカオスに比べたらいくらか、いや、だいぶましであります。

ところで、振り返ってみても我ながら、五行エッセイ、五行エッセイ、とうれしそうに連呼してるような気がするけど、この五行エッセイの基本形の、

結論⇒理由複数個⇒結論の繰り返し

ってのは、論説文だったりスピーチだったりの構成手順や方法としてよく目にするものではあります。

つまり、なんら目新しいものでもなんでもない、という話です。

ただ、連呼しやすい“名称”をつけて広げたもん勝ち、みたいなところが何に関してもあるので、そういうことなんだと思います。

それに乗った自分。

そういうこと。

次回記事↓↓

勝手に自作五行エッセイ第3回目です。今回は趣向を変えて、“主題⇒方法3つ”のパターンでやってみます。書けば書くほど上達するのはわかってるけどそもそも理由や方法などが3点もそろわないから書き始められない症候群対策として2点ではなく3点なわけの浅い考察、発展バージョン施策、などなど。

前回記事↓↓

自作のスペイン語“五行エッセイ”を、はずかしげもなく公開してみることにしました。いえ、ちがう、はずかしげもなく公開するような場を意図的に設け...