前回記事↓↓
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上達や進化の証を血まなこになって探してみるも自由
やっぱり、求めてしまう
見返り。
ちょっと露骨で不純な感じがするから、ぼかしてやわらげるために、
»成果。
としてみてもいい。
すると、とたんに正当なイメージが出てきて、当然の報い系のにおいまで漂ってくるから、言葉って不思議です。
さらに粋なそして知的なうえに高尚な感じもプラスするとこんな風にもなれる
»進化の証。
結局、言い方なのか・・・
上げ過ぎたか。
でも、どんなに言葉をセレクトしたって同じことを示しています。たぶん。
要は、
なんせ独学は、闇雲度が過ぎるから
正直、なにか見返りやご褒美が欲しくてしかたありません。
そんな支えor下心がないと、続けられない。
いっそやめちまうか、と簡単にやめちゃえる。
“いやいや、
ちょっと待ちなさいよ:
それ以上なにが必要だってんだ。あんたの心は不純物であふれんばかりか。”
と誰かが言ってくる。
でも、そんな理性的なわかったようなこと言われたって一向に響いてこない。できたら放っておいていただきたいくらい。
“とにかく、ぐだぐだ言ってないで、盲信して猛進しときなさい”
と声高にあたまごなしにうまいこと言われたって、頭にも心にも1ミリも入ってこない。どこの線にもなにも触れてこないし沁みてもこない。
だってあれでしょ、結局、盲信して猛進しときなさい、とか言っときながら、そして最後は
ただし、効果にも個人差があるのをご了承ください
って言って〆る気なんでしょ、あんた!!
とイライラメラメラしてしまうだけです。
こんな、自分でも手が付けられないこじれた状態に突入してしまう時期があります。
きっと、だれにでも。少なくとも、自分には。結構な頻度で。
ご覧のとおり、こんな自分には、
誰から見ても、どの角度から見ても、どんな色眼鏡経由で見ても、火を見るより明らかな、
はっきりくっきりした成果
が否応なく必要です。
だって、
だれか、上手になったねー進歩したねー順調に進んでるねーいいよ―その調子その調子、と言ってくれ、ポルファ!!
と、独学者の心は常に悲痛な叫びを上げているからです。
そして、実際、そんなことを言ってくれる人が現実の世界のどこにもいないもんだから、自分自身でかき集めることができる確固たる印というか証というかそういう類のものを求めてさまよいます。
◎進化の証①:語学検定での合格や点数アップ
わかりやすいところで、語学検定を受けて自分の現時点での語学能力の目安や上達具合の客観的指標を得る、というのがあります。
合格だけに限らず、不合格でも点数アップしていれば進化です。
何度か受けて結果や出来具合を比較して、成長を実感したり、行き詰りや停滞やよどみにもんもんしたり、退化に絶望したり、一喜一憂します。
でも、ここで一番目に取り上げておいてなんですが、あくまで目安であって正確に能力を測る完璧なものにはなりえないので、ここで点数が下がったり又はあまり変化がみられないからといって超がっかりすることもありません。
というのも、点数に表れない成長もあるし、当たる出題テーマなどにも人によって得意不得意があります。
例えば、個人的な経験として、DELE試験(C1レベル)に一度不合格後半年間結構勉強して半年後に再挑戦した試験で、他のパートは2~3割ほどアップして合格点に達したのに、前回合格点だった口頭試験だけ、逆に点数下がる合格点割る、そしてまさにそこだけが原因で総合的に不合格となる、という痛々しい目にあったことがあります。
自分的には、口頭表現もその半年で上達したと実感があっただけに、実は劇的に衝撃でした。
でも、正直、前回合格点だったから、ちょっと油断してた面もあるんですが・・・
上で、点数が下がっても超がっかりすることもない、と書いときながら、その当時の自分は超がっかりなんてライトな言葉じゃ表せないほどの落胆ぶりでした。
でも、このにがにがしい実体験を通して、口頭試験に関してわかった点がありました。
- 前回の口頭試験で当たった試験官がすっごい甘かったこと。
- 次の回の試験官が、スーパー厳しかったこと。
- 当たる試験官次第で評価が随分と変わってくる可能性があるということ。
- 自分の実力が、試験官次第で評価されないレベルの不安定なものであること。
- スーパー厳しい試験官に当たると想定した対策が必要、ということ。
それから、この(自分の実力不足のせいだけど)なんかくやしくてくやしくてたまらなかったビターな経験が最強のばねとなり、スーパー試験官待ってろ、次は攻略してやる、とひとりで勝手に燃えて、猛烈に口頭試験対策に取り組んだので、その後、口頭試験パートだけは高得点をとれるようになりました。
ま、かたよるんですどうしても。
うまい具合にバランスよく、ってのが一番難しいし、もしかして、別にそんなに自分では気付きにくいバランスに細心の注意を払わなくても、いつかガツンとバランス崩して倒れてみて初めて気付く、でもいいと思います。
けっこうあちこち痛いし引きずるけど。
そんなこんなで、バランス崩して偏ってグラグラしながらも進んでいくしかありません。
だから、その経験は、自分にとって貴重な経験でありその後の成長のためにも不可欠なものだった、そこで下手に合格しなくてよかった、ぐらいに今は思えます。
今だから、思えます。
とにかく言えるのは、合否に関係なく、検定を受けるという経験から武器を得ることができる、ということです。
という武器です。
それを知ることから、今後の方向性やら方針やらプランやら力や時間を注ぐ割合やらがおのずと決まってきます。
そして、その足りてない能力を得たあかつきには、どうなるのか想像してにんまりできたら、もうこっちのもんです。
やる気満々とまではいかなくても、くやしさプラスでなにかしらメラメラしたものがモチベーションとなることでしょう。
つまり、
ってやつです。
◎進化の証②:昔と今の自分自身のスペイン語能力の差
これは、個人差の関係で、ほんと他人と比較してもしょうがない、でも何かと比較せずにはいられない、じゃあ・・・ってところが出発点です。
そして、昨日と今日の違いはわかりにくいけど、ある程度の期間遡ってみて比較したときの成長は、はっきり見えます。勉強し続けてさえいれば。
具体的な方法:
(1)話す能力編
へったくそな時代から、自分のスペイン語でのしゃべりを録音し続ける。
そして忘れたころ(半年~2年後)に、直近の録音と比較。
例えば、1年後ぐらいに聴いて、笑って、そしてそこに見える成長に満足して、録音消す。恥も一緒に葬り去る。
録音シチュエーション例:
- 自分の音読を録音する。
- 自分のスピーチを録音する。
- オンライン授業を録音する。
(2)書く能力編
数年前の自分の書いた作文を読んでみる。
これ、もんのスッゴイ面白いです。
だから、今書いた作文が、〇ソみたいな出来でも、思わずグチャグチャぽい、としてしまわず、仮に勢いあまって、気が付いたらグチャグチャぽいしてしまってて床にくちゃくちゃに丸まって転がっていたとしても、一晩ぐらいはそこに寝かしておいてもいいけど、翌朝には拾い上げて広げ直してしわを伸ばして、ちゃんと保管しておきましょう。
ここはグッと耐えて、のちのちのお楽しみに残しておきましょう。
面白いだけでなくて、さらに前進するためのモチベーションとなるやもしれないこんな成果の表れの確認に適したブツをただで捨ててしまうのはもったいなすぎます。
え?燃やしたんですか?あーもったいない・・・
ここんとこは、今後発展させて、自分で過去の自作文を添削してみようと考えています。
それ、反則
もうここまでいくとほぼ反則に近いと思うのですが、
まったくスペイン語を知らなかった頃の自分と、今の自分を比べてみるのもありです。
さかのぼりすぎじゃないか?とか、比較する意味あるか?とかなりがちですが、
例えば、辞書の引き方すらわからなかったような頃の自分やスペイン語が音にしか聞こえなかった頃の自分と、今の自分を比較してみると。
う、うぉ~・・・確かにすっげぇ~。遠くまできたもんだ。となる。
で決まり。
日々の中では見えにくい上達も、原点以前のそんなとこまで?というような時点まで戻ってみると、否応なく、進歩の跡がくっきり浮き彫りにされます。
そして、なんとかずっと続けたから今ここにいるんだよなあ、
と感慨にふけり、
ということは、今後も同じ調子で続ければ、きっともっと遠いところまでいけるのでしょうよ!
と期待に胸を膨らませる。
で決まり。
また、うぉー、スゲー、と昔の自分が今の自分を見て言っている図を思い描き、でしょ?知ってる。となってみるのもいいでしょう。
ここでは、当然ダメダメだろう、という時と今の比較をして、当然ある差を当然のものとせず、意外なものを発見したかのようにふるまうのがコツです。
◎進化の証③:前は入ってこなかったアドバイスが今はスッと入ってくる
語学関連のもので、またそれかよ、もう聞き飽きたよ、と、さらっと流していたアドバイス忠告が、実は大事だったことがわかったり、また、その真の意味がわかったり、そら、達人皆口揃えていうだけあるわ、と納得できたり。
言っていることが、フィットする、とはこのことか、と思ったり。
これを進化、とせずなんとしましょう。
例えば、
継続して慣れるということは強い。
という、いつもだれでも言うから、またそれ~?って思ってただけの、ありふれた言うが易し系フレーズに、最近、妙に納得している自分がいたりします。
私も進化してしまったようだ、ふふ、となりたい盛りです。
◎進化の証④:小さいけど大いなる証コレクション
ところで、初めの方の進化の証①で、心がねじれ気味のときは響いてこないと言った(再掲)↓
の論は、実のところもっともすぎるぐらいもっともです。
いやこれこそが正解なはずです。
例えば、ある文章を1年後にもう一度読み返したら、書いた人の真意が読み取れるようになってたりして、え、こんなこと言ってたのか、と驚くこともあります。
そして、何度も繰り返し読んだのに表面的にしか読めてなくてぜんぜん理解してなかったらしい1年前の自分をひよっこ扱いしてみたり。
でもここでよくよく考えてみると、語学検定の合格に関してすら、そういうささいなできるようになったことの積み重ねの結果、以前合格できえなかったものに合格できるようになったのだ、といえると思います。
他にも進化もろもろ(読み逃しなく)
「クリスチャンでもなんでもなく信じる神もいないのに、“¡Ay, Dios!” や “¡Dios mío!” とこぼしている自分に気付く」
↑はいこれ進化。
(※ただの、驚き・賞賛・苦痛・不快などを表す感嘆表現[口語]→「おお!、ああ!、なんてこと!、おやまあ!、ちぇっ!、いやはや!」)
「母親のことが頭に浮かんだわけでもないのに、“¡Ay, mi madre!” とこぼしている自分に気付く」
↑はいこれも進化。
(※これもただの、驚き・感嘆・不快などを表す表現[口語]→「おやまあ!、へえ驚いた!、なんてことだ!、さあ困った!」)
「日本語で、“でも・・・”と言いたいところを、“ペロ・・・(=pero)” が出てきてしまうことがある、だって意味も文字数もそして母音も一緒なんだもん。」
↑はいこれも明らかな進化。
続いては、以前の記事で、自分で把握できる語学力の上達や前進の表れの例として挙げたものを再掲してみたいと思います。
「対話相手のいいとこもわるいとこも善意も悪意も言葉の端々から全部くっきりと読み取れるようになってしまってやだなあ、昔カタコトだった時はよかったなあ懐かしいなあ」
↑はい進化もういっちょ。
「まあ、同時に、自分の方の性格のひねくれ具合や心のねじれ、さらには、腹黒さ計算高さ狡猾さ臆病さ優柔不断さなども、自然と行間や言葉の端々ににじみ出てきてしまうくらいになってきたなあ、気を付けないとなあ」
↑はい大いなる進化もういっちょきた。
これらは、なんだデメリットの話か?いいことばかりでもないという話か?と思いきや、視点を変えればまったく違います。
要は、知りたくない情報も受信してしまうほど精密な感知力や読取力、そして、伝えたくない情報をも発信してしまうほどのハイスペック表現力、が身に付いてきた、ということです
つまり、ちょっと避けたいような嫌なネガティブな感情すらも、
スペイン語能力を磨き続けて進化させてきた者たちだけの、
特権
なのです。
まとめ
てな風に、目を凝らして感覚を研ぎ澄まして痛々しいぐらいに懸命に進化の証をかき集めてみました。
上達や進化の証を血まなこになって探してみて、それらを糧にするもしまいもどこまでも自由、だからです。
でも実はこれ全部、
というベースがあってこその話しです。
なにも、ヒトという種として進化したいわ~、などと大規模なこと言っているわけではなくて、せまーいせまーいスペイン語能力という世界において、進化したいわ~ってだけです。
ぼんやりと願っているだけだとしても、この欲があるのとないのではだいぶ違ってくるとおもわれます。
欲があるからこそ行動が生れる、らしいし。
そして、持とうとして持てるものではないのが、欲、なんだそうで。
だから、幸いこの欲がある場合は、それをベースにして、残念だけど“毎日の味気ない繰り返しの練習しか成果を生む方法なし”という事実の体感経験を重ねていけば、
驚くべきパワーを発揮
できるときがいつかやってくるかもしれないみたいですよ。
また、
やればやるほど、深めれば深めるほど、徐々に自分の潜在能力が開花していってそしてトータル自分が発展していく
なんて素敵で甘美な感じのことも起こりうるみたいですよ。
かくいう自分自身も、しっかり、進化を感じたい盛り真っ最中です。
あ~進化したすぎる。
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