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“スペイン語漬けライフ”概要
こんなライフ(イメージ):
- 日常のあらゆる場面にスペイン語が深く入り込んでいる生活
- 寝ても覚めてもスペイン語
- 右を見ても左を見てもスペイン語がうんざりするほど氾濫している環境
- スペイン語なしに回らない日常
- スペイン語を使わざるを得ない日常
- スペイン語を使わなければ何事も進まない日常
- スペイン語の理解不足が日常生活の基本的活動に支障をきたすような日常
- スペイン語の理解不足が最低限の生活基盤をゆるがしかねないような世界での日常
- スペイン語を理解できなければ情報弱者になるような世界での生活
- スペイン語を理解できなければ様々な機会を逃す日常(文化的・経済的・知的活動面)
- スペイン語力を向上させなければ楽しめる娯楽がないような日常
- スペイン語力がなければ解決できない問題が山積みになるような日常
ご覧のとおり、
ミソは、“日常的”にスペイン語まみれ、というところなのですが、それゆえ毎日の全瞬間が、言葉の壁起因の、
- サバイバルテイストあり
- 冷酷非情でハードかつヘビィな現実テイストあり
- フラストレーションが爆発しそうなぎりぎりテイストあり
- 完全にトラウマになりそうな精神的身体的危機テイストあり
- いくら時が流れようがいつでも悲しくなれる悲劇的テイストあり
- 全てを投げ捨てていっそのことドロンしてしまおうかその方がいくらかましクライシスあり
- 砂をかむような空虚テイストあり
- 結構ハートブレイクもあり
というものであり、
簡単にいうと要は、
楽しいことばかりじゃない。ぜんぜん。
というのが現実です。
まあ、当然です、どこのどんな世界でもそれが日常ってもんです。
そして、自然な流れとして、
自分のスペイン語に
情が湧いてくる
気持ちが入ってくる
思い入れが生まれてくる
ことになるのですが、それがまあまた当然ながら、ポジティブとネガティブの両面性を持ち合わせたものになります。
でも、まさにこの、
幸も不幸も酸いも甘いも歓びも困難も硬も軟も愛着も憎悪も良いも悪いも得も損も安楽も苦痛も好きも嫌いも好機も危機も愉快も不愉快も満足も不満も喜びも悲しみも希望も絶望も情熱も怠惰も慈悲深さも残酷さも謙虚さも慢心も癒しも毒も正気も狂気もワクワクも鬱々もトキメキも嫌悪感もルンルンもイライラもウキウキもムカムカも…
これら全部すべて複雑に絡み合って無秩序この上なくごった混ぜになったデイリーライフの
カオスっぷり
こそが、
スペイン語ライフの充実の証
であるように思うのです。
とはいえ、もちろん一番強調すべきは、
挙げ出したらきりがなさそうなポジティブ面なわけです。
“スペイン語漬けライフ”自体が秘め持つポテンシャル
驚異のポテンシャル(=可能性としてもっている力・潜在能力)。
“スペイン語漬けライフ”のポテンシャル
例えば(注・個人的イメージ):
- 計り知れない可能性
- 比類なき有意義さ
- 間違いなく高い学習効率
- 避けようのない必要性
- 半端ない有益さ
- 抗いようのない“いい刺激”
- 逃すわけにはいかないチャンス感
- 有効活用しない手はない容赦なきプレッシャー
- 積極性・自発性・意欲的姿勢・能動的姿勢
- 行動力・チャレンジ精神・トライ感
- 推進力・ばく進ぶり・着実に前に進んでる感
- 建設的で発展的な面
- その経験から得られるであろう飛躍的な成長
- 新しい世界への扉オープン
- 広がる世界
などなど。
一口に言えないから、こんなにずらずら並べ立てたのに、ここで一口で言ってみると、要は、すごくいい、ってことです。
ただ、ここは、“ポテンシャル=潜在的な可能性”ってところがポイントで、つまり、漬かったからといって必ずうまくいく保証はないがね、という話なわけです。
どーせそんなことだろうと思ってた。
でも、結局
どんなけスペイン語漬けになれるかが勝負
っていうところは確かにあると思います。
当然、スペイン語力を極めたいと願うならそうなるか、といち学習者として思えてならない今日この頃です。
(関連記事»この記事の中でも書きました)
そもそも、何かを極めたいと願うとき、当然どんなに願っても願ってるだけでは不十分で、
行動すべきだ
って話になってきます。
そして、もちろん語学界でも同じことが言えるみたいです。
それは、こう↓↓言われていることからもわかります。
*効率的な外国語習得の一番の秘訣は
である。
ってやつです。
語学の道を進んでいると頻繁に耳にすることだと思います。
というか、語学の基本、レベルの話なのかもしれません。
こういう風にあらゆるところで言われているところをみれば、語学でも行動力というか実行力がものをいうのは明らかです。
ただし、何事においても言われるように、やり方や工夫次第で又は正しいやり方で実行すれば、という注意書きが付いて回るのですが。
なんにせよ、
この学習メソッドはとどのつまり、
まず、容赦ない必要性に迫られた崖っぷちの自分というものを自己演出する
そして次に、そのシチュエーションの中で、
切羽詰まった自分が発揮するであろう潜在能力的なものを期待する
っていう願望が見え隠れするメソッドであります。
身を任せるための流れを自ら作り出す、的な。
自分にかけるために自分で発生させた圧力を原動力として学習を推進させるような仕組みを自分で作り出す、的な。
なにがなんだかよくわからなくなってきたけど、要は:
自分自身の自分自身による自分自身のための、
効率的な学習に最適な好循環を作り上げる
的なことであるという解釈に落ち着きました。
*外国言語教育法『没入法』(英語:total immersion)
ところで、このメソッドは、語学界ではれっきとした言語習得のための教育法のひとつとされているようで、
『没入法』(英語:total immersion)
と呼ばれています。
『total immersion』(没入法):
学習中の言語を使って生活しながらその言語を習得する教育法。
ジーニアス英和大辞典より
ボツニュウですよ。
没入:ひとつのことに心を打ち込むこと。熱中すること。没頭。集中講座。
スペイン語では“la inmersión”
『la inmersión』:
学習中の言語を使いながらその言語を取得する方法
とあります。
「学習中の言語を使って生活しながら」とか
「学習中の言語を使いながら」とか
言い方がまちまちで『没入』がいろんな意味に取れなくもないのですが…
その言語が現地語として話される地に住み社会的にも入り込んで学ぶ、ということなのかそれとも、単にその言語で書かれた参考書や辞書だけを利用したり授業を受けるなら講師はネイティブ、というような、つまり、母国語を介入させずに勉強するということも含まれるのか、とか。
また、バイリンガル系の話なのか、それとも、大人ノンネイティブ学習者も対象とされるのか、とか。
まあ、そこらへんの定義はよくわからないからここでは一旦置いておきます。
なんにせよとにかく、この学習メソッドの効力は、今も昔も変わらず言われ続けていることみたいなんですが、唯一昔と比べて変わったことは、人類史上最強の発明のひとつであるインターネットによって及ぼされた、その自分を放り込むべき“状況”と選択肢の多様化、だと考えられます。
ここらへんの、多様化された“状況”と選択肢については別途考察したいと思います。
*スペイン語学習者のケース
ところで、これをスペイン語学習者のケースに応用すると:
スペイン語力を効率的そして飛躍的に伸ばすための近道は
ことである
ということになります。
そして、これはここでの主題:
スペイン語漬けライフにダイブ
とイコールだといえるのではないかとおもいます。
あとがき
そしてなにを隠そう
この自分を放り込むべく状況は自分で作らなければいけません。
だーれも用意してくれません。
そして、
スペイン語漬けライフの質を決めるのも、自分自身です。
どこまでも自由だけど同時にどんなことになろうとすべて自己責任、という前提で常に選択しそして行動し続ける大人なら当然。
親などの保護者の都合で拒否権なくむりやり連れられて行った外国の言葉を、普通に日常生活を送っているうちに知らず知らず習得してたわ気付いたらペラペラだったわ、みたいな、誰かが最適な流れを用意してくれてそれにそれとは知らずに乗ったらいつのまにか辿り着いてた、みたいなことは、たぶん大人にはなかなか起きないことだと思われます。
でも、大人は大人なりの知恵というものがあるわけだから、そんな大人が自分で作ることができる状況というのは実にさまざまだとも思うのです。
次回は、そこらへんの“スペイン語漬け環境いろいろやエフェクト各種”に関して考察してみます。
次記事↓↓に続く