このように、当の本人ですら、“真の語学力”と“語学力証明タイトル(が持つイメージ)”との関係に関する各種思い込みを抱えそしてそれらに翻弄され一喜一憂してしまうのだから、他者の中にも同じような思い込みがあってそれを基準に物事を見るということ、つまり、時には自分の語学能力が過大評価又は逆に過小評価されることもあるということ、そしてその後、期待と現実(実際の語学力)との間のギャップがいろいろな弊害を生むということになんら不思議はありません。
前回はこちら↓
Contenidos
現時点での実際の本質的語学力と所持してる語学力証明タイトル(に対する周囲の解釈と期待値)とのギャップから生じるプレッシャー&コンプレックス
◎実際の本質的語学力≠所持語学力証明タイトル(に対する周囲の解釈と期待値)
このズレから生まれるものとして考えられるのは、過大評価と過小評価の二つです。
まず過小評価。
(つまり【実際の本質的語学力>語学力証明タイトル(が持つイメージ)】の場合)
この場合に関しては、例えば就職などで選ばれる側にいる場合に、実力に見合った評価がされずそもそも実力発揮の機会が与えられない、というようなマイナス面はありそうですが、一度機会が与えられたらこっちのもんで、初めは過小評価されてることが少々悔しいかもしれないけど、後々は周囲が「お、案外やるな、想像以上だ」となっていくだけだから、比較的誰にとっても害が少ないものであるような気がします。
実際に、タイトルなんぞ所持していなくても、ネイティブレベル語学力を備え持ったノンネイティブはたんまりいそうです。
なので、ここで要注意なのは、過大評価の方です。
(つまり【実際の本質的語学力<語学力証明タイトル(が持つイメージ)】の場合)
これだけはおおげさでなくプレッシャーを超えて恐怖に近いです。
なぜなら、過大評価、つまり、実際の実力よりも高く見積もられ“さぞかしペラペラのキレキレでネイティブ並なんだろう”とかけられる過度な期待、から始まる物事のいく末は、ひたすらマイナス評価連続のがっかりされ続けの精神衛生上ちっとも芳しくない日々、っぽいからです。
そして、自分の中に蔓延る期待外れ感や残念な思いに関しては、まさに自分の中にあるものゆえコントロール可能なものだから、実際にその目的地にたどり着いてみて現実を知ることで、あ、思っていたのと違ったな/あ、そーでもないんだな/でも現実はこんな感じかあ/そーか勝手に色々思い込んでただけだったんだな、とギャップを認識し、そしていつまでも残念がってても仕方ないから消化→じゃ次、つまり、いい具合に言ってしまえば、
新たな真実をひとつ知ってとにかく進化。
みたいなことで自分を納得させて踏ん切りをつけることができます。
ところが、その真実を身を以て知る機会のない他者の思い込みは、ずーっと思い込みのままで、その上、アウト・オブ・コントロール/フエラ・デ・コントロールの領域のものになります。だからこそ、怖い。
◎最高レベルの語学力証明タイトルホルダーに対して抱かれるイメージ、解釈、そして期待値各種
基本形:
ペラペラのキレキレイメージ詳細例(スペイン語の場合):
- ネイティブに近いスペイン語を使いこなせる人
- スペイン語のエキスパート
- どんなスピードのものでも1回で聴き取り理解できる
- すごく流暢
- フォーマルな文書も難なく書ける
- 失敗の許されない重要な会議で楽に同時通訳できる。もちろん失敗なんてしない。
◎最高レベルの語学力証明タイトルホルダーの実際の本質的語学力
実際:(adicto_1の場合)
例えば、今、仮に「私はネイティブ並です」と口がつるっとすべったとしたら、ネイティブに「あは。」と失笑されるか無表情を返されるかそのネイティブのその日の晩飯の席での最高に笑える話のネタになるか、のどれかです。
◎上記二つの間のギャップ詳細
さぞペラペラのキレキレなんだろう、というように期待値が高ければ高いほど、実際の能力を知った時の、期待外れ感からの失望や落胆も、印象の悪化や好感度の急降下も顕著であることでしょう。不公平だ。不憫だ。
まずそもそもこんな風な間違ったイメージが生れる理由を説明するのに、しっくりきたのは:
例えば、「私は○○というタイトルを所持してます」と言った時に、相手側にとって意味するのは、
そのタイトルを持った人、ではなくて、
そのタイトルが持つイメージの能力を兼ね備えた人
であるから、というものです。
これら、思い込み、思い違いは、無知からくることが多いような気がします。
特に、該当最高レベル資格保持者以外の、または、母国語でなければどんな言語でもいいので一度でも検定における最高レベルへの到達を経験したことのある人以外の、つまり、どんな語学検定も未経験の人もしくはそこを目指している初級中級レベル学習者(以前の自分含む)などによる、無知からくる思い込みです。
つまり、
仕方がないやつです。
対策はこちらが打つべきなのです。
◎プレッシャー&コンプレックス
そして、そんな過大評価された結果の、周囲からの「おい、ほんとはもっとできるだろ?」のような類のプレッシャー、と、その「ただのそっちの思い込みでしょ?」と言いたくなるぐらい度が過ぎたものだとしてもとにかくかけられる期待に応えられない自分に対するコンプレックスやジレンマに、勉学の枠から飛び出して実践の世界へ踏み込もうとする足が鈍らされたりします。
そして、上級者になればなるほど、その埋まらないギャップと、そして、“私のスペイン語、ネイティブレベルです”と公言することの恐ろしさとデンジャラス具合を自然と自覚する運びとなる、のだそうです。
まとめ:克服方法
まあ、とどのつまり、他者の思い込みやイメージの独り歩きというようなコントロール不可能領域なのだから、実際は、どんなに恐ろしかろうが足がすくもうが、「勝手に期待したのはそっちでしょ?」ぐらい強気な構えで、プレッシャーもコンプレックスもジレンマも吹っ飛ばし、スゴクなかろうがなんだろうが、残念でしょうがこれが現実です。と開き直り、現時点での“実際の語学力”をガタガタだろうが披露するしかありません。
当然、実際の能力が“え、そんなもん?”と判明した時に、他者に残念に思われたり、期待を裏切られたと思われたりするのは、やっぱりいい気分のすることではないでしょう。誰にとっても。
しかしながら、いい気分がしないからって、だからって結局は避けては通れる道でもないようだから、次のふたつのうちどちらかの方法で克服するしかありません:
か
どちらも同等に文句なしに有効で強力。と個人的には思います。
次の記事»『DELE C2合格までの記録⑤:最上級レベル語学力証明資格保持の意味』
コメント
はじめまして、
DELE C2合格までの記録およびスペイン語独学モチベーションの記事を拝読しました。
とても読みやすかったです。
ためになる勉強法の紹介も多く、今後も参考にさせて頂きたいと思います。
(ブックマークしました)
私はスペイン語の学習を始めて早10年、DELEは7年前に受験したB2が最後です。
いつかC1,C2と考えていましたが、
メキシコでの就職が決まり、メキシコに暮らしのなかで、
とりわけ生活に苦労しないレベルのため、
勉強へのモチベーションがあがっていませんでした。
「もう、B2で十分では?不便してないし。
何のためにC1,C2がいるのか?」
と甘えをいいたくなり、
ここ数年、(勉強をしない)楽なほうに逃げてしまっています。
ですので、C2合格者であるAdicto‐1様に質問なのですが、
B2合格からC2合格、一番変わった、進化されたと思われる点はどこでしょうか?
今のB2レベルでの実感としては
・ビジネスメール、打ち合わせは問題がないが、
契約書の翻訳、医学用語(歯医者や産婦人科の受診)、
化学薬品等専門テーマの際に、知らない単語にぶつかる。
・政治家のスピーチはよく分からないが、
National ジオグラフィックチャンネルは理解できる。
・吹き替えおよびメキシコの映画は問題なく見れる。
スペインの映画(アンダルシア地方)は要字幕。
アルゼンチンの映画も要字幕
・新聞は読める。小説は骨が折れる(スペイン語の本読了は5冊のみ)。
C2になれば、今、苦手だと感じている小説を読むことや、
右から左に聞き流してしまう政治家のスピーチをきちんと
理解することが出来るでしょうか?Adicto‐1様の見解をお願いします。
コメントありがとうございます!!
いただいた質問を読んで、改めていろいろ考え込んでしまいまして。。。
さらっと返答できない内容なので、後日別途この質問を取り上げた内容の記事を書きたいと思います。それをもって返答とさせていただければと思います。少々お待ちください!!