社交性ゼロからのスペイン語


スペイン語に限らず、コミュニケーションツールである言語を、すごくコミュニケーション苦手な人間が、学ぼうとすることの意味を考えてみました。

日本語ですらほぼしゃべらない人間が、スペイン語でしゃべる練習なんて、どう考えても何かがおかしい。やめちまえよ、と、陰で言われてるかもしれません。それも、フランス語みたいにおしゃれにアンニュイなボソボソ(勝手なイメージ)なやつじゃない、底抜けに陽気でハキハキペチャクチャなイメージのある(このイメージこそ勝手:もうこれは人による)スペイン語を。

おしゃべりさんには語学学習はもってこいだろうなあ、とうらやましくうらめしく思うこともありますが、仕方ない、性格だから。改善する機会もとっくにわざと逃しました。

うあ話しかけてくんな話しかけてくんなあ、ってときが内向的根暗人見知り人間には、多々あります。決して人嫌いなわけではないのですが多分。あとシーズンにもよるのですが。春夏秋冬じゃなくて、人生においての気分みたいなやつ。

でも、しゃべるだけがスペイン語学習の目的ではなく、読んだり聴いたりも言ってみれば書き手話し手とのコミュニケーションには違いない。そして書くことも何かを伝えるためのコミュ手段です。いつまでたっても小学生みたいなスペイン語作文しか書けないとしても(現実)。

あとは、一対一であっても対複数の人であっても、スペイン語が話されている場面で、相手の言ってることがわからなくて黙っている、のか、完全わかってる状態で意図的に黙ってる、のか、では精神状態に雲泥の差があると思います。それに、ここぞ、というときにはズバッと言いたいことを吐き出して思いっきりぶちまけることができるように日々臨戦態勢で訓練しておいてもなにも損はないと思うのです。

だから、いまさら外向的根明人懐こい人間に変わろうなどと無駄なことを検討するのはやめて、語学学習に向いてない性格かもしれない、ってとこはしっかと受け止めてあげて、すべての技能を偏らせず磨き続けるべきだと思います。

機会があれば、”内向的根暗人見知り人間”と”外向的根明人懐こい人間”では、スペイン語の勉強法・取り組み方に違いが生じるかどうか研究してみます。...いや、研究するまでもなく、内向的根暗人見知り人間こそ、じっとりした独学に向いているのではないのか。