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西作文練習における戦略:時間があっても書けない場合の対策(続き)
◎効果的な対策(1):ネイティブによる作文添削の活用(続き)
前回は、個人的にC1合格後からC2合格までの期間限定で活用した際の手順を表にしました。
以下に再掲します(↓+クリックで直下にコンテンツ表示):
そして、個人的には大いに助けになった、ということを書きましたが、具体的にどう助けになったかを掘り下げてみます。
◎ネイティブに作文添削してもらうことの意味とメリット
1.書くモチベーションと必要性アップに最適な状況が作れる
- 色々教えてもらう指導してもらう、いいアドバイスを期待する、というよりは、
意図的に作り出した自分の書いたものが誰かに読まれるという状況
が、なかなかにいい刺激やプレッシャー、そして同時にモチベーションとなる - 自分独りで、書くのも自分それを読むのも自分、というなぁなぁな状況ではなかなかに湧いてこない、羞恥心、そして、緊張感、に背中をプッシュされる
- つまり、書きっぱなしではない誰かに見せれるレベルの状態に仕上げようとする過程の中で、誰かに読まれるから極力恥ずかしい思いをしないように上手く書きたい、上手くならないと恥ずかしい、というような気持ちや、スマートでシュッとしたものを書きたいという欲、いや、書かなければ、という姿勢が自然と湧いてきて上達するための原動力となる
- 日々、ネイティブが書いた色々な記事や文章などを読む際に、何でもいい何か盗める色々使い回せて役立ついい表現ポルファ!!という常にギラギラで貪欲な姿勢に拍車がかかる
- 自分の書いた作文を修正改善していく過程で、つらかろうが嫌になるほどしつこく何回も何回も我ながら意味不明な薄っぺらくて未熟な作文であろうが繰り返し読むことになるので、なんというか・・・スペイン語と戯れる時間が増える、よって読解力も発達する、ような気がする
2.ネイティブによる客観的視点からの分析と評価をもらえる
- まず、他の誰でもないネイティブに、あなたの方向性は正しい、と言ってもらいたい
- もし方向性がずれているのなら軌道修正できる機会としたい
- ネイティブにとって自然な表現と不自然な表現、文語では使うべきでない表現、ある特定の状況や概念の説明によりしっくりくる表現、語順や言い回しによって変わってくる微妙な意味のニュアンスの違いなどの知識を得ることができる
- 実際そんなに修正される箇所がなかったとしても、『あ、あれでよかったんだ』『あの表現はネイティブが読んでも不自然じゃないんだ』ということがわかるだけでも、ネイティブに読んでもらう価値がある
このように、どんなささいなことでもいい、“あなたの方向性は正しい、といってくれ”、という要望になにかしら応えてくれるものを四六時中ちまなこで探している、そして、どんなささいなことでもみつけたら、それをなんとしてでもモチベーションに変えてやる、でないとやってらんない、という、常に切羽詰まり気味の独学者にとっては、ちょっとなにかしらを満たしてくれたり支えとなるスパイス的アイテムでもあります。
3.ネイティブ添削者によくコメントされたこと(痛い編)
- 言いたいことがわからない/要点はなんだ
- ひとつの文章が長すぎて読んでるうちに迷子になる
- よって、文章をできるだけ短く区切れ、ピリオドを効果的に使え(punto y seguido:ピリオドを打って、さらに行を続けよ)
- 読み手を迷子にさせるな
- ネイティブに二度読みさせるぐらい無駄に難解な構文を使うな
- 同じような内容を語彙や表現や構文を変えて繰り返すな
- 言い回しが不自然
- 現代じゃ使われない
- 同じ単語を近場で繰り返さないように気をつけよ(間違いではないけど紛らわしいから)
例:el papel de la prensa en papel(最初のpapelは役割/最後のは材質としての紙):意味⇒紙媒体の報道[機関]や出版物の役割:解決法例⇒役割に“la misión”を使う - もっとバリエーションをつけよ(それだけで賢そうに見えるから)
例:「それは…を意味する、それは…ということである」(もちろんニュアンスが変わってくる場合もある)
⇒Eso quiere decir que…, Eso significa que…, Eso supone que…, Eso implica que…, Eso representa que…, Eso refleja que…, Eso constituye que…, etc. - 一般論を述べる際、せめて同一段落内では主語の人称を揃えよ
(「我々」にするのか、「人は誰しも」にするのか、「君」を使うのか、など) - 自分の意見と一般的な意見や他人の意見とを混ぜないで、しっかり切り分けよ
- もっとまとめろ
(なかなか規定語数400~450語にまとまらず、膨れ上がった600語とかから縮めることがとてもむずかしかった) - C2レベルでそのミスはないでしょ
- C2レベルでそのミスはないでしょ
そういや、やんわりと、書き直せ、といわれたこともある・・・
これ全部、言われた、というだけで、全クリアできたというわけではないですけど。
てな風に、色々手厳しいけど為になることをビシビシ言われる中で、
4.たま~に言われたこと(踊らされ編)
たま~に「たいぶ良くなった」や「ネイティブでもこんな風に書けない人たくさんいるよ」などと褒めてくれるのが劇的に嬉しいのです。
でも、ここ、自分が「いやーめずらしくいい具合に仕上がった」って思って提出したものが思いのほか反応がうすかったり、逆に「あーもうこれ以上無理、読めば読むほど迷い込んでもうなにがいいのか悪いのかすらわからん、お手上げ」と放り投げたものが、「今回いいね~」と言われたりするから、基準がよくわからないとこもあるのですが。
けっこう、添削者のその時の気分なのか?とか。でも確かに、いやな事や心配事があったら赤の他人のそれも大人の作文の上達具合なんてどうでもよくなる気持ち、わかります。
それに、「たいへんよくできました」の花丸が欲しいがために書いているわけでもないし(←欲しいがために書いてる自分にハッと気づくこともあったにはあった)。
それでも、自分の「いやーめずらしくいい具合に仕上がった」と添削者の「今回いいね~」が一致した時は、素直に嬉しく、わかっていてもしっかり踊らされます。
5.圧力兼モチベーション編
「で、次の作文はまだ?」
などとたまにせかされるたびに感じるプレッシャーとこの機会のありがたさが、可能な限り後回しにしたり避けがちな作文練習をなんとか継続するモチベーションになります。
やってるよ、今やってるよ、もうちょっと待っててよ。
6.注意点
ネイティブと一口にいっても、いろんな人がいます。
ちゃんと教えるプロであっても、知識量・好み・傾向・観点・経験などはまちまちです。作文添削なんてしたことがない講師もいることでしょう。あと、自分との相性、ってのもあります。
よって、当たり前だけど、たまたま自分のアドバイス役となったネイティブの言うことが絶対的で100%正しいとは限りません。
誤字脱字や明らかな間違いなどは別にして、それ以外のところで提案されるものは、あくまで単なるひとりのネイティブによる修正案や改善案のいち例だととらえるのが賢明だと思われます。
だって、そもそも、実際のDELE試験で自分の作文を採点するのも、違う基準や観点を持った別の人なんだし。
例えば、「私ならこう書く」と提案してくれた修正案が気に入らないなら、採用しないのも自由です(←とかいいつつ、次の作文に多少中身をアレンジして取り入れて、花丸もらおうとしたりしたこともあったにはあった)。
教えを乞う側のくせにくそ生意気な面倒くさい生徒ですが、要は盲目的に頼り切らないようにしたい、という話です。
◎で、誰に作文添削してもらうか
なに、なんかここが一番むずかしいところなんじゃないの?実は、と思ったりもして。
まず、当たり前だけど、指導してもらうのにスペイン語ネイティブなら誰でもいいというわけにもいきません。
日本語ネイティブならだれでも外国人に日本語での作文指導ができるかというと、絶対的にノー、であることを考えれば当然のことです。
ちなみに、自分の場合はネイティブの知り合い(現役スペイン語講師:友人ではない)に添削してもらっていました。もちろん有料でです。
それだけの価値があったと思うし、また、例えば、交換に日本語の作文方法を指導することもできなければ、仮にできてもそんな時間の余裕も気持ちの余裕もない自分の場合は、等価交換の法則の面からしても当然のことです。
そして、このマネーで繋がるビジネスライクな関係がお互いにとっていい感じに働いていたと思います。あくまで、友人関係ではないにせよ結果的ながら総合的な相性が良かった方だと思う自分のケースでは、という話です。
向こうも遠慮なく手加減無ながらも真剣に為になることを言ってくれるし、それにこちらとしても、元を取らなきゃ、この機会を最大限利用して上達しなければ損、ぐらいの思いが少なからず力となるもんです。
さらには、なんだか知らないけど、早く作文送らなきゃ(私)、早く添削して戻さなきゃ(添削者)、という緊張感が常に漂っていました。ま、なんだか知らないけど、と言ってもどう考えたって、たぶんこっち側の「是が非でも結果出してやる」というメラメラ執念がすべての発火元なのは明らかなんですが。
そんな運よくネイティブの知り合いがいないという場合は、最近ではありがたいことに手っ取り早い方法として、オンライン授業を受けるという選択肢があります。
見たところ、日本人運営のスペイン語オンライン授業サービスはいくつかあって、講師によっては作文添削をしてくれるところもあるようです。
ただ、講師レベルも結構ピンキリで色々だろうし、相性だとか授業の質だとかの当たり外れが当然ありそうです。でも、こればっかりは受けてみないことにはわからないから、結局色々な講師の授業を試して比較するしかなさそうです。
英語とかだと、まさに作文添削に特化したサービスが存在するようだけど、スペイン語のものはなさそうだし(大して探してないけど)。
まとめ
いや、正直、プロフェからの花丸、欲しい盛りです。
スマートでシュッとしたものを書いて、花丸ゲット目指すことの何が悪いというのか。
だって、結局とどのつまり、DELEに、いや厳密には、InstitutoCervantesに、いやもっと厳密には、試験本番で書いた自分の作文を採点する人に、花丸をもらう、ってのがさしあたりのミッションだったりするんだし。
次回も、引き続き、『時間があっても書けない』場合に効果的っぽかった対策諸々について記していきたいと思います。
次回記事↓↓
前回記事↓↓
コメント
私は友人スペイン人に添削をお願いしておりましたが(誰でもいいわけではないことを知りつつ)、やはりお金を出してスペイン語の先生の資格を持った者にお願いするのが一番だと思いました。しかしスペイン語の先生も、muy bienと褒めるタイプの先生だとあまり効果がないので、何人か試して相性を見て見ないとですよね。私の場合はしゃべると出来るのになぜ書くと意味不明なんだ!と言われました…
いやほんと書くのって難しいですよね。
でも自分の場合は不思議なもんで逆の現象が起きていました。つまり、作文特訓始めて以来だんだんと時間が経つにつれて状況が逆転してきて、なんで話すと意味不明なんだ、ってなってしまってました。バランスが難しいです。あと、ほんと褒められすぎも考えものです。ひねくれてるからか、どうしても、うそつけ、ってなりますもんね。自分で書けてないのわかってるから。実際結果が出るならスパルタでぜんぜんいい派です。