Contenidos
最上級レベル語学力証明資格保持者になることの意味(スペイン語の場合)
なにはともあれ、ついに晴れて、DELEC2ホルダー、つまり、スペイン語というひとつの言語の技能を測るDELEという国際検定試験の最上級レベルの資格保持者になれました。
そして、この『C2レベル』は、公式に『“Maestría”の域』だと定義されてます↓
Maestría:
師匠(親方)の資格(身分)、技師(教員)資格
/(職人などの)巧みさ、熟練、名人芸、etc.
参考辞書:西和中辞典/現代スペイン語辞典
・・・これはいくらなんでも言い過ぎだわ、名人芸て、という個人的感想はさておき、まあ試験開催サイド公式の魅力的な謳い文句、くらいに思っておくことにします。
そして、ここでは、この肩書き・称号が何を意味するのか、自分なりに考えてみました。
①DELEC2ホルダー=検定界(※)からの解放
つまり、要・がり勉エリアであり、また、集中力やタイムコントロール力が必要な緊張感が張りつめたぴりぴりしたところ(少なくとも自分にとっては)であった、検定の世界からの解放の機会到来、を意味します。
祝解放。
祝脱力。
と同時に↓
②DELEC2ホルダー=検定界からの追放
今思えば、検定の世界は学習者にとって、結構あたたかい目でいろいろ大目に見てくれる世界、いうなれば、安全保護区でもあると思います。
存分に公平に手厳しく詳細に評価してやる、金さえ払えば、といつも誰にでも分け隔てなく言ってくれる頼りになる存在です。
なかなか合格点に満たなくても、また次待っててやるから出直してこい、といつまででも待っててくれるような優しい側面も持ち合わせています。
そして、その世界の最高レベル到達は、そんな早く脱出したいけど居心地のいいような感じもする世界に、もはや自分の居場所がなくなったことを意味します。
言われなくとも堂々とこっちから出て行ってやる、という気持ちだとしても、帰りたくてももう帰る場所がなく(=もう受験するものがない)、そして、目の前には、実践の場、という荒廃とした無法地帯がただただ広がっています(イメージ)。
足がすくみます。途方に暮れます。
これぞ、追放の醍醐味です。
祝追放。
(※)スペイン語の検定界、といっても、ここではいくつかあるスペイン語技能を測る検定のうちのひとつである、DELE(Diplomas de Español como Lengua Extranjera)という国際スペイン語検定の世界でだけの話ですが、個人的には、国際的に通用するスペイン語検定界の重鎮、と勝手に思っています(ちょっとスペイン中心目のラテンアメリカ色薄目なとこはありますが)。
他の検定に関しては、日本国内だと、西検、スペイン語通訳案内士、国際的なものだと、DELE以外には、今年から開始された新検定SIELE、そしてその他にも検定があるようです。
日本の西検やスペイン語通訳案内士に関しては、スペイン語オンリーのDELEとは違って、スペイン語と日本語の相互関係という別の角度からスペイン語を攻略する必要がある点に最近やっと興味が湧いてきた(そんな余裕が出てきた)ので、今後、いつか。
あと、どこまでもアナログなDELEに対してデジタル化とグローバル化(ラテンアメリカ色濃厚化)が押しの新検定SIELEも、いつか。
そして、やっぱり一番意味深いと思うのがこれ↓
③DELEC2ホルダー=客観的評価(※)を求める時期の終了
(※)客観的評価中身いろいろ:
- 客観的に見た自分の実力を知る機会
- 自分は進歩していると感じているが実際のところどうかの確認機会
- 他人からの、うまくなったねー、や、レベルアップしたねー
- わたくしのスペイン語力どうでしょうか?いけますかね?への回答
を求める段階の終了です。
つまりは、
自分で自分を評価するステージへの到達
を意味します。
また、
安全保護区である検定の世界のことはもう忘れて、次へ進みたまえ。現実を知れ、そして、絶望せよ。
ーも聞こえてきます。
ところで、自分で自分を主観的に評価なんて、思い込み、とどう違うのよ、とも思うけど、一説によると、もうここらへんのレベルになると、自分で下す評価(≒思い込み)と他人による評価の曖昧さはどっこいどっこいになってくるらしく、もう、自分は進歩している、あるいは、行き詰っている、などと感知できるレーダーを持ち合わせているべきレベル、ともいえるようなのです。
例えば自分で把握できる上達や前進の表れはこんな:
- リスニング中に出てきた耳だけで聴いた未知単語を辞書で調べた際、最近一発で当たる(見つかる)ようになってきたなあ(ただし ”sc” の入ってる単語はまだ手ごわい:例:fascinante,transcendencia,etc.)、とか
-
自分のスペイン語が、“一見あっさりと冷淡だけど言葉の端々に優しさがにじみ出てしまう”ようなレベルになってきてしまったなあ、とか(個人的には未経験)
-
まあ、同時に、性格のひねくれ具合や心のねじれ、さらには、腹黒さ計算高さ狡猾さ臆病さ優柔不断さなども、自然と行間や言葉の端々ににじみ出てきてしまうくらいになってきたなあ、気を付けないとなあ、とか
- 逆に、対話相手のいいとこもわるいとこも善意も悪意も言葉の端々から全部くっきりと読み取れるようになってしまってやだなあ、昔カタコトだった時はよかったなあ懐かしいなあ、とか
ほかにも、個人個人でいろいろな気付きがあると思われます。
(注:後ろの二点はネガティブなようで、要は、知りたくない情報も受信してしまうほど精密な感知力や読取力、そして、伝えたくない情報をも発信してしまうほどのハイスペック表現力、が身に付いてきた、ということです【多分】。これが語学力上達の成果でなくていったいなんだというのでしょうか、嫌だし時には心が痛いけど喜びましょう)
関連記事「スペイン語独学モチベーションとしての進化の証探し編」↓↓
ちなみに客観的な指標が必要な理由
まず、学習者とりわけ独学者の不安解消のため。が挙げられます。
つまり、
- 力はちゃんとついていっているのか?
- 今やっているやり方が一番効率のいいものなのか?
- 方向性は正しいのか?
- 偏ってないか?
などを、自分の思い込みでなく、第三者に客観的に正しく評価してほしい。
そして、
- 自分のレベルや弱点を知る機会
- 自分の進歩具合確認の機会
- 自分の立ち位置確認の機会
- 自分で作れる健全な評価されるいい機会
- つまり、客観的な評価を受ける、なにかしら目安を得る、励みになる点や次の目標を得る、という自己満足の機会
がほしい。
というような要望を満たすことによって、不安を少しでも減らし、
そして、継続させる為。
あと、この客観的指標は、知らない他人に自分の語学力レベルの目安を知らせるのにも役立ちます。例えば、就職などの、他人に自分を選んでもらうような機会(コネなし)で自分の語学能力や知識を証明する必要がある場合の一番手っ取り早い方法でもあります。
そして、こういった場合の“「私結構すごいです」自己申告”はなんの意味ももたないことは明らかです。目安があるようなないような語学の世界だからこそ、ぼんやりしすぎます。
もちろん、なんの証明資格も持ってなくても、ネイティブレベルの人はいるし、留学歴や職歴などでカバーできる場合もたくさんあると思います。
でも、例えば、海外に10年住んだって、しゃべりは申し分なく流暢で会話のキャッチボールもスムーズにこなせたとしても、正しく書けない読めない、といういう人もたくさんいそうです。
なので、語学力証明資格所持は、他人に目安を与えることができ、そして、幅広いレベルの中でも最上級レベルのものは、少なくとも、結構な期間どっぷりとひとつの外国語の世界に浸かってめっちゃ勉強し、ある程度読めるし書けるし聴き取れるし話せるようなバランスのいい語学力は現時点で持ち合わせている、ということだけは証明してくれます。
ところで
◎検定試験合格を目的化してしまうとデンジャラス
とよく言われます。
語学における真の目的は、現実の世界のコミュニケーションの場で本当に役立つ真の実力を培うことであり、ある特定の資格対策に追われることではない、と。
検定試験は、自分の現時点の実力確認のためだけに賢く利用すべきものだ。と。
ごもっともです。
しかしながら、そうだとわかっていながらも、一定期間だとしても要所要所で目的化させてしまうこともあります(自分含む)。そして、単なるひとつの学習過程として別に悪いことでもなんでもないはずだ、と個人的には考えます。
なので、なんだか正に今目的化してしまって検定の世界に没頭熱中してしまっているな又は今までしてしまってたな、とハッと気付いたその時点で、我に返ってみて、能力的な面でも精神的な面でも色々とバランスがひっくり返りそうなほど変な感じに偏ってしまっているかもしれない自分をじっくり分析観察して、おー危ない危うい、と、軌道修正すればいいだけの話だとも思います。
少なくともなにもやらないよりは検定試験対策であろうともやるだけ1万倍ぐらいはまし、だろうし。ただ、せっかく語学勉強に時間をさける状況にいるなら、偏りのない使える実力を効率よく身に付けたいものだなあ、という話なのだと思います。
でも、特にDELEの場合は、話す書くも含めた全4技能が試される検定なので、能力的なバランスもそんなに偏ることはなさそう、と個人的には感じます。
ただ、またこれも自分の場合は、の話ですが、瞬発力やスピードや思考回路が、少々検定試験モードになってしまいがちなのは否定できません(遅かったり柔軟性に欠けたり)。
なにはともあれ、これだけはたびたび(そして正に今も)肝に銘じたいです:
言語とは、勉強するために勉強するものではなく、
使うために勉強するものだ。
まとめ
結局、最上級レベル語学力証明資格ホルダー、などと、長ったらしい仰々しいだけの名前をつけてみても、巧みな話術とか速読力とか欲しい・・・と渇望しているただのいち学習者に過ぎません。
まとめるとつまり:
それでも、かのホルダーは、解放だろうが追放だろうがどちらにせよとにかく自由の身にはなりました。
そんな、かのホルダーの行く末は、
現時点まで積み上げてきた語学力を生かすも殺すもどこまでも自由でどこまでも自己責任、そして、もうどこにも寄り添って評価してくれる人(=検定)はいない頼れるのは自分だけ、という、孤独で不安定で容赦なきサバイバルな世界
あたりなのでしょうか。
なんか、自由の代償的なネガティブな印象しか残らなくて、自分で書いてて嫌になってしまいました。
視点を変えて、ポジティブバージョン↓
かのホルダーのいく末は、
現時点まで積み上げてきた語学力を最大の武器として、ストレスフリーで身軽に巧みにオープンなマインドでもって飛び回ることができる、言葉の壁も存在しなければしがらみも縛りも存在しない自由で好奇心と解放感あふれんばかりの知のエキサイティング&ワンダフルワールド
あたり、で。
ちょっと飾りすぎたかもしれませんが、どっちかというと、こっちがいいです。こっちにします。
『C2合格までにやらなかったこと』に続く。
前記事»
コメント
私も客観的な評価が欲しくて資格受験を始めた口です。あとは努力してきたことへの自分への自信というか。ところで、実は今年は通訳案内士も受けてみました。スペイン語はまあいけるやろ、って感じでしたが、思いの外手強かったのが地理でした。今年分かったことは、二兎追う者は一兎も得ず、ということです。現在国内で受けられるスペイン語関連資格受験は、どれもアプローチ方法がバラバラなので、いっこいっこ挑戦しないとな、という感じでした。
通訳案内士受けたんですか!私も先日ちょこっと興味が湧いて調べてみて、地理かあ~歴史かあ~一般常識かあ~それに一年に一度かあ~、と、こぼしていたところでした。ほんと、スペイン語以外のところで別途対策が必要だし、ついでに受けるという感じでは合格が難しそうな印象でした。でも、翌年だけなら前年合格したパートは免除されるところがいいですよね。ところで、ここは今度またジトジト愚痴ろうと思っていた件なのですが、英語とかだと英検1級やTOEIC840点以上で語学力部分の筆記が免除されるのに、スペイン語はDELEはもちろん西検すら免除対象じゃないことに腹立ちませんでしたか?私は悲しくなったくらいです。他にはフランス語もドイツ語も中国語も韓国語も免除対象の検定があるのに・・・ポルケー!?
わかります、めっちゃ腹たちました。しかし、西検もDELEも1番上を受けた上で案内士の試験を受けると、まあ確かに毛色の違う試験だなとは思いましたが、TOEICいいならDELEでもよくない!?DELEのがムズイよ!?とも思いました。案内士もあれはあれで賛否両論のようですけどね…
そーなんですよ、日本語絡んでないTOEIC対象ならDELEもありでしょと思います。まあDELEはとにかく西検1級だけでも是非、と願います。自分的に西検受ける動機にもなります。でもそーか毛色が違うんですね賛否両論なんですね、参考になります。ありがとうございます。