スペイン語リスニングのハードルの高さ2

前回は、ハードルの高さに対する文句、その高い理由と当然さ、ハードルは上がることはあっても下がりっこないから自分サイドでのバランスよい努力の必要性 やいろいろな地のおしゃべりを押さえて慣れておいて損なしということへの納得、などについて書き記しましたが、今回は、その高いのはわかった障害・壁・ ネック・足枷としてのハードルの具体的な内容について、そしてその後、それに対して出来ることはあるのかないのか、についての考察です(前記事⇒こちら

ハードル①:言語的多様性

まず、大きくざっくり見ても、多様すぎて、単純に、「スペインのスペイン語」と「ラテンアメリカのスペイン語」ときっぱり境界線を引けるようなものではないみたいです。

広大なラテンアメリカ地域内の諸国間での言語的多様さは、それぞれの地域における原住民言語やそのミックス具合や程度の違いが当然あるので、言うまでもないのですが、その多様性の基盤は、そもそもスペイン国内における多様性の反映そのものであり、実際はスペイン国内における多様性の方が幅が大きい、とも言われているそうです。

というのも、スペイン国内にはいろいろな方言に加えて、いろいろな言語?公用語?があり、それぞれの言語で会話したら通じ合えないくらいのレベルに違いがあったりするようです。もちろん、お互いの歩み寄りなのか一方的押し付けなのかは不明ですが、通じ合える共通語?標準語?みたいなものは当然あるようですが。

ところで、基本的に、我々ノンネイティブが学習する “スペイン語” とは、標準スペイン語といわれている、カスティーリャ語なのだそうです。

そして、スペイン国内の他の方言というか、もはやいち標準スペイン語学習者には理解できない、癖や方言の域を超えた別の言語(カタルーニャ語・ガリシア語・バスク語)を話す人々からすると、『標準スペイン語=カスティーリャ語』という図式は、『は?なにいってんの?うちの地方のやつが標準よ』ということになることが多々あるようなのです。

◆ちなみに、ラテンアメリカ諸国のスペイン語は、

スペイン南部のアンダルシア地方(フラメンコが有名な地)の方言の影響あり説が有力らしいです(濃い濃い深緑色の硬めカバーの分厚い本の『中級スペイン文法(白水社)(P590)』↓による)。

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中級スペイン文法:中身は濃い深緑のハードカバーで分厚い:(注目)スペイン語は入りやすいけど、その後が…

もちろんそこをベースとしてという話で、原住民言語や他諸々(連れられてきた奴隷の言語や文化、とか)の影響がミックスされて様々な形に変化してきているのですが。

確かに、アンダルシア地方の方言と似ている話し方の地域あります。わかり易いところで、「d」や「s」が消失気味だったり。

あと、あれ。

あれ⇒セセオ問題(seseo-ceceo)。

◎seseo(セセオ):ce/ci/z/sを、[θ]音(日本語にはない英語でいう[th]音)と[s]音を区別せず、すべて[s]音で発音すること。

◎ceceo(セセオ):逆に、すべて[θ]音で発音すること。

ちなみに、[θ]音と[s]音を区別して両方使っている地域もあり。

中南米スペイン語は基本的に、seseoが主流だけど、極めて限られた地域ではあるけど、ceceoを使ってるとこもあるそう。

(『中級スペイン文法(白水社)(P19-20)』より)

個人的には、seseo派で、[θ]音は使いません。使えません。

でも、聴いてる分には、[θ]音と[s]音を使い分けている人が話すのを聴いている時に、知らない単語が出てきても、綴り的にSCZの違いがはっきりしてるので後で調べたりする際に辞書で一発ヒット率が高くてよい、あんだよSじゃないのかよCかよ、というような辞書内迷子率が低いのでよい、と感じることがあります。

◆あと、vosotros、ね。

DELE試験官も、スペインの方だと、平気であたかも共通語のようにvosotros活用使ってきます。ま、試験、なんていう特殊な環境で、“きみたち!!”とか“諸君!!”とか使う場だし、そこを、“ustedes!”なんて使うのは、そういう習慣がない人にとったら堅苦しい感じなのだろうな、とは想像できます。

そら、基本的なことだから活用の知識はあるし言ってることはわかるけど、耳慣れてないし自分では使わない、いえそもそも使いこなせない、あるいは、活用を覚えた時も、vosotrosんとこは飛ばした手抜いた、というスペイン語学習者は少なくはないでしょう。

または、活用された動詞に関しては見て聴くぐらいなら問題なく理解できるからいいけど、音的に“os”挟まれると、“ん?”とひっかかってしまうというケースもあるでしょう。

なので、ustedes意外に選択肢がないところでスペイン語を吸収してしまった学習者からしたら、vosotros活用を共通語のように使ってこちらに立ち向かってくる様子が腑に落ちなかったりすることでしょう。

いや、いずれ郷に入れば郷に従う気はあるとしても、それでも、郷に入らないという選択肢もあるわけだから、グローバル感の配慮よろしく、と言いたくもなることでしょう。

でも、ここも、使わない人側から歩み寄る努力が必要で、慣れるしかなさそうです。

●あと、コロンビアでの、親しい間柄での“usted”使い。人によってなのか地域によってなのかよくわからないのですが。。。なんか、第三者から見ると、自分自信と自分以外の人(誰であろうとどんなに親しくても)との距離感的な話なのかな、言ってみれば、哲学的な要素が基になって習慣化したのかな、とか勝手にファンタジー解釈したりしてます(深く調べる気がない)。

●アルゼンチンあたりなんかは、イントネーションとかリズムがイタリア語気味だなあ、とイタリア語あまり知らないけど感じます。

●あ、“vos”使い(voseo)については、意外によく耳にするにしても自分にとって未知すぎるので是非触れないでおきたいです。

◆あと、使われる表現や語彙のちがい!

ここしんどいポイントです。

若者言葉とか口語・俗語とかの地域間での違いなら理解できるのですが、そうでもない普通に使うレベルのもので、地域によって伝えたいニュアンスが通じない語彙や表現があるのは、スペイン語ワールドの広大さを考えれば当然だとしても、学習者からしたら勘弁してほしい案件です。

◎まとめ◎

バランスよく、万遍なく、柔軟性を持って、多様な形・癖・方言のしゃべりに慣れておこう、苦手意識克服しておこう、自分が楽になるために、といいながらも、

そんな方向性を根っこからグラグラさせられるような様々な声が聞こえてきます。

クスッ、バランスですか?そんなもん不要ですよ。逆に足枷ですよ。それよか、たったひとつの強みを伸ばし、思い切り偏ることを恐れず、そこを極めてマニアになったらどうでしょうか。そのほうが得策じゃないですか?
バランスバランスって、バランス取るのにかける時間とエネルギーの余裕があるなら、ひとつをどん底まで深めろ!!八方美人が!!

・・・・一理あり。

上で言及してるマニアとは、ひとつの特定の国や地域に絞って、そこの社会文化人々にどっぷり浸かった上でそこの方言だけ徹底的に深める、という意味です。

その方がいさぎよいし逆に価値あるんじゃない、だって違いがありすぎるもん、言語は独立したものではなくて文化的社会的歴史的背景と関連させて初めて意味を持ち生き生きとしてくるものだ

と。

でも他方で、

全体的に広い視野から見たら、言ってしまえばスペイン語学においてのマニアへの道を進んでいるんだから、せめてスペイン語ワールド内でバランスとってはだめ?・・・だめ?

という弱気ではあるけど反論の声も聞こえてきます。

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次回は、リスニングのハードル②:早口又は容赦ない超早口編です(⇒『スペイン語リスニングのハードルの高さ其の三』)