スペイン語独学学習スタイル:かける期間と時間数と上達度の関係(後編)

前回は、どうあがいても個人差の影響満載であろう『語学力が“ある程度”になるまでにかかる期間』について考えを巡らせ、“獲得できる語学力の質はかける期間(年数)密度には関係ない、関係してくるものがあるとしたら時間数ぽい”という論にあーだこーだしましたが、今回は、“いや、期間(年数)密度は大いに関係ある”とする意見について見てみます。
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スペイン語独学戦略プラン

◎対決:『ぎゅっと短期戦』vs『じっくり長期戦』

基礎力の固まった母国語でない言語をさらに極める際にかけるべき期間・時間数・集中度・学習の進め方などについては、当然いろいろな意見が存在します(ネット語学界にて)が、まず、大きくはこの『ぎゅっと短期戦』派『じっくり長期戦』派の二つと、そして、中立の『どちらでもよろしい』派詳細前回記事に分けることができます。

正反対二派のそれぞれの言い分を見てみます:

ぎゅっと濃厚超集中『短期戦』派:

一定期間集中してやったほうが学習の効率もよく勢いもつくので一気に能力アップできて良い。

VS

じっくりコトコト着実に前進『長期戦』派:

語学力はじっくり時間をかけて徐々に伸ばしていくべき。勢いだけではどうにもならないのが語学。

ぎゅっと濃厚超集中『短期戦』

特徴キーワード(個人的感覚):濃厚、濃密、瞬間熱中度高め、瞬間情熱度高め、勢いつけて一気に済ましてしまおう、緊迫感

必須アイテム:時間、状況の許し(経済的、身近な人間関係的、その他諸々)、必要性

じっくりコトコト着実に前進『長期戦』

特徴キーワード(個人的感覚):忍耐勝負、決意強固、密度ほどほどだが静かに熱い、余裕、出来上がりの味に深みが出る、腰を据える

必須アイテム:持続可能なスペイン語に対する情熱と忍耐力

思うに、きっと両方のやり方で同じようにうまくいった前例があるのだろうけど、結局、ひとりの学習者としては、どちらか一方の方法しか試すことができないのだから、ほぼ同じ条件下での『短期戦』と『長期戦』の結果得た語学力の比較は不可能なわけです。

個人としては、自分の経験した方に関してしかわからないわけです。おまけに、それが最善だったのかもわかりようがありません。他の学習者との比較ほどあてにならないものはないような気がするのですが、それ以外に比較対象がない、というのも事実です。

ということで、複数の学習者の前例を比較することで統計や傾向をはじき出した結果の、『ぎゅっと短期戦』派『じっくり長期戦』派『どちらでもよろしい』派なのでしょう。

この『どちらでもよろしい』派前回にも書いたように、どんなスタイルやプランでも、つまり2年かけようが10年かけようが、獲得できる語学力に違いはない、という論ですが、個人的には、これが正解なのだろうな、と勝手に思ってます。なんとなく。

ちなみに、『どちらでもよろしい』といっても、“まじどーでもいい”という投げやりの方のやつじゃなくて、

“どちらの方法でもうまくやればうまくいくよ、とにかくやるのみ”

という建設的な方のやつであります。

共通点

ここで、忘れてはならないポイントがひとつ:

どちらも楽ではない。

みたい、というところです。

なので、どちらが楽?というワールドワイドな基準では選択できそうにありません。

違う点は、密度。濃密かほどほどか、です。あと、結果が出るのが早いか時間がかかるか。結果が出る保障あるのないの?は別問題として。

つまり、こなす量は同じで、濃密に短くか密度ほどほどに長くか、短くギュッとするか長くじっくりコトコトするか、の違いです。

ちょっとヒーヒーだけどすぐ終わる、やつか、ゆったりストレスフリーだけど終わりが見えない感じ、のやつか。

まあ、密度が違えば、どうしても精神的な面や心構えや温度などが違ってくるのは避けられないとは思うのですが。

でも、例えば、温度といっても、短期ならではの、熱です。そもそも長く持続できる類のものでもありません。

で、どちらも楽でなく、どちらも有効かも、というのならここで重要になってくるのは、どちらが良い悪いではなく、

そして、自分はどちらを選択するか

です。

そして、自然な流れとして、

自分の性質や現状や都合にあった方を選択する

と言う話に必然的になってくると思われます。

あと、その時々の状況によって、スタイルを変えるのもありだと思います。

その時々に適した

“マイペース”

(=自分に適した進度・速度・方法)

というものがあると思うし、集中的にやる時期があったり、ゆっくり進める時期があったり、と組み合わせていくやり方でもよさそうです。

自分に合うのが、速いリズムなのかゆっくりのリズムなのかは、人それぞれ、状況によりけりだと思うからです。

◎で、個人的選択

まず始めにお断りしておきたいのですが、ここから下の内容は、ある前提を基にしています。

勝手ながら思い込みも勘違いも甚だしいかもしれないけど、

私のスペイン語力は、“ある程度(上級レベル※)”に到達している

という前提で書いています。学習者としてまだまだ先があるのは承知の上です。

(※ここでは、国際スペイン語検定DELEの最上級レベルC2合格を“上級レベル到達”としています)

個人的にも、学習プランに関しては様々な段階でいろいろと迷いました。

特に迷った時期は、本格的に勉強を始めてから約1年半経過した頃のDELEC1合格後に次のC2合格を目指すと決めたあたりです。そこまでは『ぎゅっと短期戦』で来ていたのですが、その先は、そのまま『ぎゅっと短期戦』で続けるか、『じっくり長期戦』に切り替えるか、というところで迷いました。

比較検討した結果、『ぎゅっと短期戦』派『じっくり長期戦』派どちらの意見も説得力のあるものに感じたので、自然と『どちらでもよろしい』派に走ることとなって、でも、どっちでもいいからこそ迷うわーなどとなりながらも、幸いどちらも選択可能な状況にあったので、あえて『ぎゅっと短期戦』を選択してやってみた次第です。

理由は特にありません。あ、やっぱりありました。

思い込みかもしれないけど、なんだか軌道に乗ってる感じがして、今ここが集中的に続けるタイミングだ、と直感的に思ったからです。

そう、タイミングってやつです。

まあ、一番重要なのは、その上状況が許した、ということではあるのですが。

今、改めて自分が短期戦を選んだ理由を考えてみると、以前にこういうようなことを自分で書いていました:

・・・実際、(C2合格は)結構無理のある話だと感じていたし、合格できたとしても思いのほか例えばあと最低2~3年はかかるだろうなと思っていました。でもその半面、C1合格まで維持していた学習の集中度と緊張感と熱と勢いを、あともう少し維持できれば、C2合格も可能なのではないか、と50%くらい感じてもいました。

そして、だからこそ、今このタイミングを逃すともう今後訪れないかもしれない、スペイン語をある程度まで極めれる機会、を逃すわけにいかない、という思いと、ここが踏ん張りどころだという直感、に後押しされて、集中して取り組んでみた次第です。

(以前の自記事より一部抜粋)

要は、なぜだかその時は、根拠なく自分の直感を信じてみることができたので、そういう選択をした、というだけの話です。

◎個人的にかかった期間と時間数

まず、“期間”に関しては、万年中級からの脱出を決めてスペイン語学習に本腰入れ始めてから上級レベル(※)に至るまでに約2年半かかった、ということは以前に書きました。

(※ここでは、国際スペイン語検定DELEの最上級レベルC2合格を“上級レベル到達”としています)

国際スペイン語検定DELEの最上級C2レベルに合格するまでに、かなりがんばった、と恥ずかしげもなく言える唯一の事をここに発表します。語学能力...

でも、実のところ、自分の学習“時間数”に関しては数えたことはなかったので、いまさらながら、自分もリアルタイムに学習時間数を数えとけばよかったかな、と思います。

ということで、

上の記事の内容も考慮して、今さらながらざっくり数えてみたら、意図的に全くやらない日を週一日取ってたり、10時間ぐらいする日もあれば又最低限(3時間)しかやらない日もあったり、やる気ゼロ時や試験後の燃え尽き時などに何もできない期間も短いながらにあったりしてたし、つまり思いっきり波があったので均して均して

『一日4.5時間を毎日2年半続けた』

とするとして、

私個人が中級レベルから始めて“ある程度のレベル”までの到達にかかった時間数は:

約4100時間

でした。

(計算:912日[二年半]×4.5時間)

※追記:毎日のスペイン語ニュース視聴、スペイン語関連動画のリラックス視聴、隙間時間利用のスペイン語での独り言などの時間を除く。

うぉー・・・

参考データ(前記事)からすると、どっちかっていうと、多くかかった方っぽいです。

  • 2000時間、だったり
  • 3000時間、だったり
  • 又は4000時間~5000時間以上、という人も

でも実のところ、この“4100時間”がかかり過ぎと言えるのか否かは不明だし、想像するに誰にも判断できない件なような気がします。この“4100時間”の具体的な中身や質の実態が誰にもわからないからです。

結局、ひと口に“4100時間”といっても、ここで大事なのは、時間数そのものではなくて、その『質』であります。

この“4100時間”の中で、あるいは、その“4100時間”が含まれる2年半という期間の間、実際、どれぐらいノリノリだったか、毎日やる気に満ちてたのか、それともある日にはやる気があってまたある日にはない、みたいな波のあるリズムだったのか、などということ抜きに、その期間に実行された学習の『質』というのは測れない、と思うわけです。

それに、人それぞれに選択する学習法も違うだろうし、又、人それぞれに適した学習法ってもんもあります。そして、かかる時間も手間も最適なリズムも学習法によって違ってきます。

机に向かってようが、ぼんやりしててもほぼ半目でも又ビシビシに集中してても同じように1時間が過ぎるのです。

つまり、私の“4100時間”がだれかの“3000時間”や“5000時間”と同じ『質』かもしれないわけです。私には4100時間かかったものをだれかは3000時間でこなした、又は5000時間かかった、というようなことがあってもなんら不思議はありません。

そして、だからなに、だからどう、って話でもなく、ただ、わたしはそうなった、そしてあなたはそうなった、というだけの話です。

でも、ここにこんな風に、改めて自分の記録をつけてみると、

上の方で、私は『ぎゅっと短期戦』を選択しました、なんて声高に言ってるけど、2年半って『ぎゅっと短期戦』に入るんかな?

それに、結構あった波を均して均してみたら、一日平均4.5時間の勉強って、濃密か?そんなでもないな?と思えてきました。

まあ・・・いいか。これ以上のことができたとは思えないし。

でも、この期間、気分的に濃密だったのは確かです。

◎でもタイミングを逃さないことも大事っぽい

これはあります。

効率的に能力向上をはかりたいのなら、上達できるグッドタイミングを逃さない、ということはどう考えても大事そうです。

そして、ひとそれぞれのタイミングってもんがあります。

タイミングの見極めどころが難しいような気もしますが、そんなに複雑なことではなくて、例えば、

  • なんというか・・・脳みそがホットなうちに打て、みたいなことで。
  • いつ消えてしまうかもわからないヤル気や勢いが残っているうちにやりきってしまえ、みたいなことで。
  • ちょっと無理があっても許容範囲内で多少無理してでも時間を作れる状況にあるのなら、その機会を逃す手はない、みたいなことで。
  • なんか、今、私、軌道に乗ってない?程度のことで。

あると個人的には思います。

とはいえ、一回タイミングを逃したからといって、もう一生訪れないというわけでもあるまいし、機会はつくるもん、とも言われているし、そんなに神経質になることもない気もします。

あとがき

短期戦派。長期戦派。どちらでもよろしい派。

長くなりましたが、

結局、

それぞれの

マイペース

(=自分に適した進度・速度・方法)

でやっていく、でいいんではないか、

いやそれ以外にある?

ってことで〆ます。

回記↓↓↓

「ずばり、語学力がある程度のレベルに到達するまでの期間はどれくらい?」という質問を前に「すばりもなにもない。人それぞれ。」をスパッと提示される時、そんな取りつく島もないようなこといわずに、平均みたいなもんを、大体ってもんを、目安ってもんを、どうかポルファボール、というのが人心というものだと思うのです。


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