前回の記事(やらなかったことひとつ目:ボキャブラリー強化)↓の続きです。
C2合格までにやらなかったこと(前回からの続き)
・・・・・adicto_1の場合
◎やらなかったこと:ふたつ目
②文法強化:中級以降レベルの文法書を頭から丸ごと制覇
(※初級文法習得済前提)
以前にも、いくつか持っている中上級レベル向けの文法本の中で、どれかひとつやろうと検討したことがあります。
どの文法書をやろうか迷ってたあの頃↓
再掲すると:
振り返ってみると、これらの文法書たちを、全部は無理でもどれかひとつを隅から隅までなめ回すように制覇してやる、と結構やる気まんまんに意気込んで検討している様子が我ながらうかがえるのですが、結局、それぞれちょっとずつ齧る程度に取り組んではみたものの、丸ごと全てやり終えたものは今のところ一冊たりともありません。
特に、下から二個(②③)の問題集形式のものは、両方ちょこっとずつ(10ページとか)手をつけただけで放置。
ひとつ目の日本語で書かれた文法書(①)は、辞書で調べてもはっきりしないことや疑問点があるときにだけ開く程度でした。
とはいえ、前回の語彙強化のケースと同じで、『文法書を頭から丸ごと制覇する』ための時間を別途わざわざ取ることをしなかっただけで、文法の勉強をまるっきり放棄したわけではありません。
例えば、まず、個人的には、辞書、っていうものも、結構文法書の代わりを果たしていたりします。疑問が晴れるまで、西西辞典を含めた複数の辞書で、時には英西・西英辞典も活用して突き詰めます(マイ電子辞書に全て収録されている)。
そして、それでも疑問点が残る場合に開く①の文法書に関しては、あとの②③のふたつと違って問題集形式ではなく云わば文法説明書なので、不明点がある度に取扱い説明書のごとくサクサクッと結構頻繁に開くことになります。
上で“辞書で調べてもはっきりしないことや疑問点があるときにだけ開く程度”といいましたが、実際のところ、そのまさに“辞書で調べてもはっきりしない疑問点や不明点や不確かな点浮上”の頻度が少なくないので、結果的に合計したらおそらく①の文法書全体の三分の一くらいは読んだことにはなっていると思われます。
といっても頻度的には、毎日何回もというほどではなく、1週間に数回とかなのですが、一旦開いてしまうと、お目当て付近の関連事項にまで目が行ってしまい結果的に結構読んでしまうことになりがちです。
ところで、実際、普段の学習において、放っておいても学習している限り疑問点不明点は続々湧き出てくるし、多分一生なくなりません。そして、この疑問点の浮上は、すべての学習法において起こることです。
特に作文であれスピーチであれ表現する練習を常にしていたので、そこで言いたいこと表現したいものの正しい形が出てこない、というフラストレーション体験も、文法確認目的に辞書のち時々文法書を開くきっかけになっていました。
あと、例えば瞬間西作文では、その素材用に使っていた参考書が文法部分も結構説明されていたものだったので、このトレーニング過程で例文暗唱を繰り返すことによって文法が身に付いた部分もあります。
でも、ここも語彙強化のケースと同じで、本当は心底『文法書を頭から丸ごと制覇』したかったし、今後いつか是非制覇したいです。
そしてそれは、新しいことを学ぶためではなく、自分にとっての不明瞭要素、うろ覚え要素、そして山ほどある自信がない“多分そう”的部分をしらみつぶしにして、文法に関する不安感を一掃するためであります。
例えば、ぜひしらみつぶしにしたい我ながら“おいおい”となるグラグラ要素として、時制の一致・線過去と点過去のどっち使うか、などがあり、そこいらでは今でも、¿う~ん?となることがたびたびあったりします。
上級者って・・・。そんなもん?といつも思います。
ところで、文法書を頭から丸ごと制覇したい場合、そもそも丸ごとであれ1度通して読んだくらいでは頭に全部沁みこまないだろうから、制覇したいなら結局何度も何度も開くことになるのでしょう。
◎やらなかったその結果
文法に関しては、覚えている限りでは、今回の試験(といってももう4か月以上も前の話ですが)で文法知識不足が原因で解けなかったものはありませんでした。つまり、普段の学習の中で、わからなかったり不明な文法が出てきた時にその都度辞書や文法書を開けて確認するという作業で十分まかなえたような気がします。
あと、C2レベル試験では、C1レベルと比較して、慣用句などの知識を問われる問題が少ないような気がします。問われるのは、例えば、ある動詞が自動詞か他動詞か、や、自動詞なら後にくるのが、“a”なのか“de”なのか、とかほぼ語彙問題に近いものくらいで、マニアックな文法問題はほぼなかったような気がします(個人的記憶)。
でも、文法知識の不足を感じなかったからと言って、試験内容を難解だと感じなかった簡単だった、というわけでは決してありません。
簡単だったなら、なぜ読解と聴解パートがギリギリ合格、つまり、4割も不正解、だったのかの説明がつきません。しっかり切実にちゃんと難しかったです。
そして、じゃあ4割も間違えてギリギリ合格だった原因はなにか?という疑問に対する答えとしては、ちゃんと山ほど思い当たるものがあります。
まず語彙力不足そしてスペイン語脳内処理のスピードと瞬発力不足からくる理解力不足それからリテンション能力不足・・・その他色々。
あと、自分の能力不足は仕方ないから置いとくとして、それ以外のことにも理解力を鈍らされる場合があります。例えば『おい、わざと難解な文章書いてるだろ』とにらみつけたくなるような読みにくーい文章があるんですね~。『変なとこでおしゃれに倒置しよって、限りある脳みそと理解力を無駄に使わせないでください』とかそんな風ににがにがしく思わされることがよくあります。
でも他方で、驚いたことに、ニガニガイライラしながらもそいういう文章にたくさん触れていると、ある瞬間、変なとこでおしゃれな演出をしたくなり必要でもないのに倒置法を使ったりして作文している自分に気付いたりするのです。誰かににがにがしい思いを味わわせているかもしれないこともお構いなしに。不思議なもんです。
◎やらなかった理由
あれこれいっても、やらなかったのにはそれなりの理由があります。
まず、その特定の期間での個人的優先事項が別のところにあり、そしてその優先事項に取り組むだけで時間的にもエネルギー的にも精いっぱいだったからです。
その優先事項とは、
スペイン語に関するあらゆる技能における
であり、
そしてその為には、できる限りスペイン語に触れて経験値を上げる、つまり、スペイン語をできるだけたくさん読んで聴いて書いて話す、又、できるだけたくさん読んだり聴いたものを文章や口述で要約する、ということに特化して時間とエネルギーを注ぎ込む必要性がありました。
そして、優先したわりには、今回の試験でもこのスピードや瞬発力不足を痛感しました。幸いぎりぎり間に合って苦し紛れながらクリアできたけれど、まさにこの能力不足ゆえのぎりぎりクリアであり、同時に、せめて優先的に取り組んだゆえのぎりぎりながらもクリア、であります。
とにかく、単語や文法の強化に別枠で時間を取る余裕が気持ち的にも時間的にもなかった、という話です。
でも、実際、何度となく、単語も文法も取り組もうと試みたことはあります。例えば、よし、この文法書を頭から丸ごとやるぞ、と計画して実際に紙に書いたことが少なくとも3回はあります。
だけど、毎度、なんか今これをするのは違う気がする、というそれはもう漠然としたものをいつも感じて、そして、その感覚に従ってやめていました。
やらないことの正当化はお任せを
そんな漠然とした自分の感覚は果てしなく頼りないものだとわかっているゆえ、どうしても自分の選択を具体的に正当化できる何かを探さずにはいられないのが人間です。多分。
その探索の中、出会い心の支えになってくれた言葉たちです。
心の支え①
文法と語彙は別途勉強するものではなく、文脈の中で読んだり聴いたり使ったりして感覚的に覚えていくものだ
ふんふん。いいよいいよ。
心の支え②
文法は、読んだり聴いたり表現したりしている日々の中で浮かんできた疑問を調べる、そして、意図的に使うようにして身に付ける、という流れが理想
¡Ya lo sé!
心の支え③
スペイン語文法書はスペイン語というものの説明書だと考えるべし
つまり、調べたい点もないのに漠然とただひたすら頭から読んでいくのは不自然で、不明点が出てきた時ピンポイントにそれを解決する目的で開くのが自然かつ効率的
¡Entendido!
◎やらなかったこと:その他もろもろ
●メモ取り技術の研究と練習:
これも、本当にしたかったことのひとつです。したかったというか、改善の必要性を日々感じていたことでした。
メモ取りの必要性が生じる場面としては、リスニング問題、作文パートでの初めの聴き取り時、そして、口頭試験のスピーチ下準備の際、などがあります。
聴き取って書き取ること自体は、ディクテーション訓練が役立ったかもとは思うのですが、いかんせん、その聴き取ったものを大事なところだけかいつまみつつ後で判読可能なようにどういう風に形にするのか、がメモ取りのポイントです。
個人的には、とっても難しい技であり練習が必要なたぐいのものだと思います。
特に口頭試験のスピーチ下準備の際に自分で取るメモ兼草案の出来不出来は、スピーチの出来不出来にも大いにかかわってきます。
そして、実際に、その自分の書いたメモが、良かれと思って色々詰め込みすぎた結果、汚くて、後から読めない、重要なポイントを見失う、意味ない、こんなことなら勇気を出して例えば重要ポイント5点だけを5行だけでメモしておいた方がましだったのでは?、というような残念な目に何度となくあってきました。
もちろん、まさに今回の試験でも、もれなくぐちゃぐちゃで汚すぎて、見ても判読不可能だからほとんど見ずにスーパー頼りない記憶力と話膨らませ力を頼りにスピーチする羽目になりました。
そんなこんなで、綺麗で簡素で後から役立つメモ取り技術は、検定だけに限らず実践の世界でも大いに役立つだろうから、改善努力の価値あり、とず~っと思ってはきたけど、後回しにしてきた案件です。
とはいっても、以前にちょっとだけ研究や試行錯誤をしてみたことがあるので、別の機会に掘り下げてみたいと思います。
●速読多読訓練(試験日以前の約半年間の話):
試験日以前の約半年間という一定の期間に限った話ですが、その期間は、毎日の音読に加えて、2~3000語程度の文章や記事は、それを要約したりそこから作文したりスピーチ構成したりの練習目的でほぼ毎日読むようにしていたけど、例えば別途毎日1時間本を読む、というようなことはしませんでした。
これまた本当はしたかったけど。そして週に何回かは気が向いたら読みたいもの読んだりはしていましたが。
とにかく、これをやらなかったことの代償は結構大きいような気が個人的にはしていて、読むという行為におけるスピードと理解する瞬発力不足を十分なほど思い知らさる日々です。
でも、今回は、それよりもまず、読んでまとめる、というプロセスに慣れることの方が優先事項だと自己判断しての選択でした。
◎やらなかったこと:精神論編(おまけ)
正気にもどること
やすやすと正気を取り戻してはなりません。
なぜなら、我に返ってしまい、なんでこんなにまでしてやっているんだろう、などと疑問を感じたり或いは最悪ばからしくなったり申し訳なくなったりして勉強自体を続けられなくなる可能性があるからです。
それがなんであれ、目の前にある何かを達成や克服するための秘訣は、なにがなんでも止めずに続けることなのは周知の事実であります。
そしてそのためには、時には自分自身をもだましだましし無理やり鼓舞したりお呪いをかけたり酔わせたり、又、何かを正当化したり自己中で自分勝手であったりする必要さえもあり、つまり、正気の沙汰ではないようなところが多かれ少なかれあると個人的には考えます。
そして、その正気の沙汰でない状態をどんなけキープできるかが勝負どころ、だったりするから厄介です。
でも、こんな大げさに言ってても、個人的には、上達する、という見返りで帳消しにできる程度の狂気ではあります。つらいわ~、とぼやいてても、基本、楽しんでるわけです。
でも、実のところ大事なのは、正気も保ちつつ、自分を盛り上げて酔わせるためのモチベーションなどなくても続けられるシステムを構築することなのだろうな・・・そして実際そういう風にできる人もたくさんいるのだろうな・・・とも思います。
まとめ
なにはともあれ。
実際、あとあと「本当は○○をやるべきだったのにできなかった」「うまく行かなかったのは○○をやらなかったせいかもしれない」などなどの無為な後悔や思惑にがんじがらめになるも自由
なのだけれど、
あ~、あれもやらなきゃぁあ、といくらガシガシ頭をかきむしったって
のだから、
肩の力を抜きつつやっていきたいものだなあ。
と思います。
後日、文法を学ぶ意味について考察しました↓
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