C2合格までにやらなかったこと
・・・・・adicto_1の場合
学習内容や方法に関して、まず、今までにやったことは、大体ここに書いてきたし、それをまとめるにしても色々ありすぎてごちゃごちゃするので今は置いておくことにします(後日いつか別途すっきりまとめる予定あり)。
なので今ここでは、逆に、やらなかったことを挙げてみた方が早くてシンプルでわかり易いのではないかと思い、もしかして実は思いのほか重要な秘訣なのかもしれない、やらない、という選択とやらなかったことに焦点を当ててみることにします。
◎やらない、という選択
何かを継続的にストレスなく円滑に進めたい場合のミソは、
- 欲張らない
- 大事なこと以外は削る
ことなのだそうです。
ここで、やらない、という選択が結構大事かつ有効である説の浮上です。
ひとつには、適切な時間管理や効率化の為に。
ふたつには、自身のメンタルヘルス管理、つまり、気持ちにゆとりを持たせる為に。
この選択は、あれもやんなきゃこれもやんなきゃ、ということだらけのメソッドや学習方法が山ほどある中で、そしてさらには持ち時間が制限される中で、あれやこれやをきっぱりあきらめる決心をする、ということでもあるけれど、同時に、
でもあります。
そして結局、適切な時間管理や効率を生むためにクリアすべき難関所は、ほぼメンタルエリアにあるような気がします。
なぜなら、このやらない、という選択の難しさは、あきらめる、に近い決心のくせに、やたらと勇気が必要な決断であるところにあると思うからです。さらには、きっぱりあきらめた後には、その自身の決定に責任を持ち、あとからぐずぐず引きずりも後悔もしない上質な“潔さ”が自身のメンタルヘルス上不可欠になってきます。
そのために重要なのは、自分の決定なんぞ疑い出すときりがないから、自分に呪文をかけてでも、
に限ると個人的には思います。
これは同時に、独学を続けるための秘訣でもあると考えます。
その選択がビンゴで大正解だったかどうかは、どんなに知りたくても今は知る術がないのだから理由なくとも信じて試してみるしかありません。その答えは心配せずとも、ある一定の期間ののち、はっきりする時が必ずガツンと訪れます。それまでのお楽しみです。
とはいえ、とにかく時間もエネルギーも限りあるゆえ仕方ないから、あれは今はやらないぞ!我ながらいい選択した!!とどんなに自分に呪文をかけても、ああ、あのやるべきっぽいことやらなくて大丈夫かな、今の学習メニューで効率よく前進できているのかな、と不安満載の日々を過ごしがちです。
でもそこは、はやる心や欲張る気持ちを制御して、
- どれも中途半端になるくらいなら、どれか一つだけ極めて他は捨てよう。
- そして、今やろうと決めたことだけに集中しよう。
- いずれあのやるべきっぽいことに取り組むタイミングがやってくるだろう。
- だから、ひとつひとつ順番に着実にクリアしていこう。
と、あのやるべっきぽいことは今はきっぱり諦めて、早めに踏ん切りをつけたほうが得策です。
そうはいっても、この、きっぱり諦める、がなかなかに難関で、いつも頭か心かの片隅か奥歯かにもやもやした何かがひっかかっている感じです。でも、それも、自分に足りてない気がする、と漠然とながらに感じるものを抱えていることは、常に自分の状況を意識できているということなので、それほど悪いことでもない、ぐらいに考えていくしかなさそうです。
しかしながら、実行できなかった充実風ぎゅうぎゅう詰めプラン、ほど残念なものはありません。実行できれば充実感満点ですが、できない時は苦々しいフラストレーションしか残りません。そして、個人的経験上、できない時のほうが圧倒的に多いです。
それに、あれもやんなきゃこれもやんなきゃ、とヒィヒィなっても早々に嫌になって続かないだけだから、いい具合に折り合いをつける必要があります。そして、“やりたいこと”があるとき、なぜだか時間がいくらあっても足りません。だから当然、“やりたいこと”の中でも、“できること”は限られてきます。
要するに:
という当然の法則に気付いて認めて、そして肩の力を抜くしかない、
と個人的には思います。
そうすることによって、時間という物理的ゆとりと、ノンストレスという精神的ゆとりが生まれる、というか、無理にでも生ませる、という作戦です。
◎やらなかったこと
・・・・・adicto_1の場合
前置きが思いのほか長くなりましたが、やっと、個人的に、やらない、という選択をして、できなかったのではなくて意図的に、実際にやらなかったことへ進みます。
上であんなにあきらめが肝心と言っときながら、あきらめ悪くいつもしなきゃしなきゃと思いつつやらなかったこと達。
ここでは、やらなかったこと、というより、別途時間を設けて取り組まなかったこと、と言う方が適切かもしれません。
①ボキャブラリー強化:
このボキャブラリー強化に関しては、スペイン語の全学習過程において、例えば一日の中の30分なり1時間なり別途時間を取ったりして長期的に取り組んだことが一度もありません。
例えば、こんな参考書も買ったけど・・・↓
この語彙強化に特化した中級者以上向けの参考書は、ある特定のレベルで知っておくべき必須単語がずらーっと並べられた丸暗記スタイル風の単語帳とは違って、同じ単語を繰り返し使いながら覚えていくような作りの問題集形式になっているし、単語の微妙なニュアンスの違いが掴み易いように工夫されているのでとてもいいのだけど、実際始めの1割分くらい(18項目のうち2項目)やってみて、いかんせんなんだか時間と頭を使わされるので、ぱったりやめてしまいました。
でも、時間と頭に余裕がありさえすれば、結構なレベルで為になると個人的には思うので、今後いつか最後までやってみたい参考書のひとつではあります。
あとは、以前いち時期(数週間)、その日出会った未知単語や何度すれ違っても覚えられないいいかげん覚えたい単語などを書き出して、その日と翌日とその1週間後あたりの寝る前タイムに目をザッと通す、という、寝る前に見たり聴いたりしたものは脳の長期記憶域に残りやすい説と繰り返しの術を組み合わせたものを信じて対策を講じてみたこともあります。
でもこれも、毎日のように未知単語がザクザク湧き出てきて、いつまでたってもなくならないので、“きりねえな”となったことに加え、寝る前タイムを、語彙強化より、文章の暗唱や独り言に充てるように変更した、ということもあって、長続きしませんでした。
とはいっても、別途時間を割くことはしなかったけど、ボキャブラリー不足の自覚はあったし強化の必要性も痛感していたし、そしてなにより、
語彙不足の破壊力
を身を以て知っているつもりだったので、何もしなかったわけではありません。何もしない、なんて大胆なことする勇気はなかった、ともいえます。
例えば、日々触れていたインプット学習用の全ての読み物やリスニング素材や例文などの文章自体の中で出会う未知単語やうろ覚え単語は、また後日その文章を読んだり聴いたりすることを何度か繰り返すことで、何度もその単語が自分の目や耳や脳を通過する仕組みを作って(何回同じ単語通過したら覚えるんだといつも自分の記憶力を恨めしく思いつつ)、記憶して使いこなせる単語数が増えていくように常に心掛けてはいました。
そして極めつけの心掛けとして、書いたり話したりの表現時つまりアウトプット訓練時に、覚えたい単語をできるだけ意識して使うようにしていました。
あと、未知単語に新しく出会う度又はうろ覚え単語に再会する度もちろんその都度辞書を引くのだけど、その際には、西西辞典を含めた複数の辞書を使うようにして、さらにはそれぞれの辞書に乗っている例文全てに必ず目を通すようにして、使い方や細かいニュアンスやイメージをすべて結び付けて印象付けるように工夫したり。
参考:西西辞典についての記事↓
つまり、単語帳を丸暗記するような語彙強化対策はしなかったけれど、『単語は文脈の中でどのように使うかを通して感覚的に身に付けるのが効率よく記憶に残す方法である』という論に肩入れしてみた、という話です。
でも思うに、単語丸暗記、と一口に言っても多種多様な方法があるようだから、一概に、良く言われているように、偏った無駄な学習法だと決めつけることはできないと思うし、単語丸暗記努力の結果身に付く語彙力はあなどれないところがあるのは個人的には否めません。
それに、単語を覚えるということに関して効率面から見てみると、自分がしているような日々の学習の中で偶然出会った単語をひとつひとつ拾い集めて覚えていくという作業はどうも非効率であり、やっぱり、このレベルでは必須または基本の単語はこれらですよ、と誰か専門家が集めてくれたものを覚える方が断然効率がいいのは想像に容易いことです。
でも、私の知る限り、スペイン語に関しては、中級者から上級者向けのそういう市販されている単語集(単語が羅列してあるもの)がないのですよ・・・(上の写真の問題集形式のもの以外に)
とにかく要は、バランスとタイミングっぽいです。人によっては、つまり、その時のその人の語学能力のバランスによっては、この別途時間を設けてのボキャブラリーだけの強化対策が功をなして、能力バランスの均等がとれて停滞していた能力がグンッとレベルアップしたり、いつもあと少し足らずになかなか合格できなかった検定に合格できたり、というような、最後のひと押し役となった例はよく耳にする話ではあります。
(あ、そーか、最後のひと押し、というところが、キーワードなのか・・・)
◎やらなかったその代償
最後のひと押し役として活躍してもらうと決めて後回しにしてもいいのかもしれないけど、それでもとにかく、あるに越したことはない語彙力、そして、ご存じのとおり、破壊力が半端ない語彙不足。
その語彙不足が生むインパクトの個人的実体験としては、例えば今回合格できたDELEC2試験(2016年5月分)で、あとたったひとつでも未知単語やうろ覚え単語に当たっていたら不合格だったかもしれない可能性が95%くらいはありそうなほど、ギリギリのジャスト合格だった、というのがあります。それだけで、破壊力を実感するには十分です。
実際、特に筆記試験の読解部分では、語彙不足のために一か八かスタイルで解答するしかなかった問題がいくつかありました。リスニングでも口頭試験の最中にも、知らない単語を前に、ウッとなった瞬間が少なくとも覚えているだけで3回はありました。
そして裏を返せば、たったひとつの単語を知っていたことによって合格できた、のかもしれません。それか、一か八かでの解答が運よく当たった、か。
とにかく、自分のようにゾッとするほどに危ういギリギリ合格の場合は、たったひとつの単語を知ってるか知らないかが運命の分かれ道、ということになりかねないそんなケースもあるということです。
まとめ
繰り返さずにはいられないので繰り返しますが、
それにしても、語彙不足の破壊力、はすごいんです。ブルッとします。
爆発させたくはないものです。ズタズタになるから。
だから、あまり言いたくはないけど、本当はやりたかったんです。
次は、合格までにやらなかったことの二つ目『中級以降レベルの文法書を頭から丸ごとする』についてです↓
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