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まえがき_Introducción
◎一番難しい『書けるようになる』こと
外国語習得において、『書けるようになる』ことが一番難しく、そして、一番最後にできるようになること、つまり、一番習得に時間がかかること、だとよく耳にします。もちろん、個人差はあるにしても。
そしてもちろん、日常会話術ではない論理的に話したりスピーチしたりの話術習得も、スーパーむずいに決まってるけど、その話術すらも、『書く』ことによって磨きあげることができる、と言う意見もあります。
これは、書くことによって自分の内なる考えを外に向けて表現する力が鍛えられた結果、即座に出てくる表現の幅も広がり、そして、その表現の幅こそがイコール話術の伸びしろとなるから、ということのようです。その表現の幅が大きければ大きいほど伸びに伸びれる、という。
とはいえ、そんな『書けるようになる』旨味は理解できても、実際『書けるようになる』ことはちっとも簡単なことではないわけで、そして『書けるようになる』ためには『書く練習』が当然のごとく必要になってくるのですが、なんせ、まずその『書く練習』自体が、結構ずっしりとぎっしりとしっかりと重くのしかかってくる類のものである、という。
◎ずっと手さぐり暗中模索まっしぐら
そして、当然、自分にとっても、そもそも外国語であるスペイン語で『書けるようになる』ということ自体がずっしりと壮大な課題です。
その上この状況に加えて追い打ちをかけてくる個人的事情・個人的マイナス要素たち:
- 作文なんてそもそも日本語ですら苦手
- 作文を書かされる、なんて常に是が非でも避けたい状況である
- 日本語ですら書くことに慣れてもいないのに、外国語でどーしろというのか。
エトセトラ。
つまり、もともと母国語で文章を書き慣れていたり、作文や論文が苦手でもない、もしくはどちらかというと書くことが好きな方、というような人と比べて、そもそもスタートラインが違うのは火を見るより明らかです。
なんせ
書くことへの苦手意識を薄める
ことから始めなければならないからです。
そしてその元来の文章作成能力だけでなく、外国語作文の訓練開始後の上達速度などにも埋まらなさそうな雲泥の差があるだろうことにも容易く想像が及びます。
まあでも、そんな作文サラブレッド陣と比較してても始まらないのも明らかだから、ここらへんにしとくとして。
とにかく、そんなこんなで当然、DELE西作文対策にしても、取り組みはじめ当初は、文字通り手も足も出ない状況で、その後もずっと四六時中手さぐりの正に暗中模索状態でした。
暗中模索:手掛かりのないまま、いろいろなことを試みること
デジタル大辞泉より
それでもせめて書かねば“書けるようになりたいのならば”、と取り組んではいたものの、手ごわい攻略相手を前にどっぷり途方に暮れっぱなしで、精神的にも侵略されそうでした(されてたかも)。
ただただ、“な・・・なんなんだよこのキツさは・・・”と独りうなる日々です。
論理的に書かねば書かねばとヒィヒィ西作文している悪夢を見たり、作文の書き出しがなかなか決まらない夢を見たり。
(ヒィヒィぶり詳細こちら»『スペイン語作文』↓↓)
C2合格までのDELE西作文対策プロセスと内容:全過程共通
・・・adicto_1の場合
こんな壮大な攻略相手を前に闇雲に突っ走るしかないとしても、とにかく立ち向かうことに決めたならそのための方法として、まず、対策本などを熱心に読む、というのがあります。
個人的には、DELE対策本の西作文パートの解説部分の熟読はもちろん、さらには、中学生向けの小論文入門本(日本語)なんてものまで読んだりしました。図書館で借りて。
でも、それもC1レベル合格するまでの話で、C2レベルでは対策本の西作文パート解説すらほとんど読んでいません。というのも、解説があまり具体的じゃないので(具体的になりえないのかも)それほど助けにならないような気がしたからです。
とはいえども、対策本に関しては、載っている課題自体を作文するテーマのひとつとして活用できるだけでも、傾向などもつかめるので十分に役立つありがたき存在です。解説に関しても、実際、試験の内容や流れが把握できるので読んで損ない内容ではあります。
つまり、C2の分も本当はちゃんと読みたかったのだけど、他にすべき優先事項があったから読めなかったというだけのことなのですが。
ま、例えどんなに効果的な対策方法が書いてあっても、そもそも実践せず読んでるだけじゃ、どーにもならないのだけど。
てなわけで、西作文対策として出来ることの基本部分は、これに尽きます↓
◎ベース:スペイン語での作文経験を積む
つまり:
そして、そのあとは:
つたない小学生レベルの構成・内容・表現でしか書けなくても、仕方ないことだとあきらめて受け止めて、それでもめげずしぶとく繰り返し書いて作文経験を積むことに尽きると思います。
何時間かかってもいいから、質が低かろうがうすっぺらかろうがとにかくレベル毎の規定の語数に合わせてある程度まとまりのある文章を形にすることを何度も何度も繰り返しているうちに、毎回とてもしんどいのだけど、なんとなくながらコツがつかめてくる、という感じです。
なにごとにも当てはまるような話にしかならなくてあれだけど、でも、事実これしかないみたいなのです。経験上。
このベースのベースになる個人的に信じ込んでる論
-
書かないことには上達はない=書けば書くほど上達する=書き続けさえすれば上達する
-
作文20個ごとにひと成長の法則
◎闇雲に書きゃいいってもんでもない論について
ここで、『いや、でも、ひたすら闇雲に書きゃいいってもんでもなかろう』と、今にもどしゃぶりになりそうな薄黒い不吉な曇り空みたいな、頭が割れそうな、やっと出たやる気をヘシ折るような意見登場です。
でも、個人的には、ここはそれほど神経質になることもない、闇雲状態でも心配無用、闇雲にでもひたすら書きゃ何かしら見えてくる、と勝手にしてしまった派です。
だって;
書かなきゃ始まらない
のは事実だし
そしてその上、
なんと、
なぜなら
作文行為に付随して自然に派生する現象がたくさんある
からです。
副作用、と呼べなくもないのですが・・・
でも良性のやつです。
自然派生的に起こる現象例:
- 能動的な姿勢になる:普段から書いていることによって、受動的な“読む““聴く”を含むすべての学習において、能動的な態勢で取り組むようになる。というかその必要性が出てくる。
- 例えば、他人の書いた文章を読む視点というか姿勢が自然と変わってくる。常に、この表現いいな使えそうだな、ああこういえばいいのか、これ盗んで明日作文に使ってやる、などなど、吸収してやるぞと前のめり態勢になる。
- 実際書いてみた時のちっともうまくいかないもどかしさやいらだちあってこそ生まれてくる、自分なりの工夫や試行錯誤の必要性
どれもこれもすべては、自分が楽になりたいがために。普段のつらい作文練習が少しでも和らぐのなら、ともがいた結果以外のなにものでもなく。
これらの必然的に生まれる“好循環”によって、どんどん書けば書くほど作文能力だけでなく、表現全般の能力レベルが向上していくような気がします。
とはいいつつも、たしかに、ただ闇雲に書いてても、と誰かが言いたくなるのもわかる部分もあります。
例えば:
『ネイティブによって書かれた正しい文章』というものを知ることも必須
です。
言語習得の基本は、まね、です。
当然、そのまねする対象がおかしなことになってたらおかしなとこにしかたどり着けません。
つまり、正しい方向へ導いてくれる正しい手本がなければ、正しく書けるようになんてそもそもなりません。
要は、
- ネイティブによって正しく書かれた文章に、腐るほど読んだり聴いたりして触れて
- »そこから盗めるものはすべて盗み
- »使いまわせる表現や言い回しのストックをどんどん増やしていき
- »そして、それを実際に作文練習の際に使うことによって
- »自分にしみ込むものは全部しみ込ませる
という流れが理想なのだと個人的には思います。
ところで、ネイティブによって“正しく書かれた文章”、といっても基準が難しいのだけど、とりあえずは、対策本に載っている文章や新聞記事はそれなりに“正しく書かれた文章”であるとしてもよいと考えられます。
まとめ
とどのつまり、
この『好循環という渦』に飛び込むか、否か、
の話になってくるのだと個人的には思います。
そして、その好循環の渦巻きの始まりは、
どうやら書くことっぽいです。
あ、ちなみに、実際その自分が図らずしてはまりこんでる“渦”が、はまりこんでいる最中には、良性の好循環だと気付けません。
台風の目みたいなことです。あたりはシンッと静まり返っています。
ただ、“な・・・なんなんだよこのキツさは・・・”と感じている自分が独りポツンといるだけです。
この方向であってる?ねえあってる?と自問の嵐の中グルグルするだけの日々です。
でも、そんなこんなで続けていると:
成長してしまいます。どうしたって。知らず知らずのうちに。
(というか、成長を感じられないなら耐えられる類のものではない・・・)
次は、『わかったわかった、じゃあ書くよ、いざ実践:西作文練習方法』についての回です↓。